コンビニに駆け込み、「ストロング系」と呼ばれる缶チューハイを買い、そのまま胃に流し込む。
いくら飲んでも酔いつぶれることができなくなった。しかし、体は確実に蝕まれていくーー。
本連載では、20代でアルコール依存症になった、ひとりの編集者の転落と回復の日々を追う。
浴びるように飲酒していた2022年の初夏
2022年6月。代官山周辺で汗をダラダラ垂らして歩きながら、ワークシャツの両胸のポケットにアルコール度数が8%以上の缶チューハイいわゆる「ストロング系」を2缶差し込み、右手にもストロング系、左手にスマートフォンで血湧き肉躍るマンガ『忍者と極道』(講談社)を咽び泣きながら読み、スワイプするたびに酒を煽っていた。「割れた子供達(グラスチルドレン)の過去、悲しすぎて泣けてくる……」
作品のアツい展開とは別に外は炎天下のため、歩いているだけでも暑い。しかし、そんなときに飲むストロング系は格別にうまい。
当時29歳だった筆者は、日中でもストロング系を6~7缶は飲まないと生活できなくなっていた。もちろん、夜も飲む。4本。
そんなに飲んでいると歩いている途中、不意に吐き気も訪れる。でも、大丈夫。渋谷エリアのトイレがあるコンビニはすべて頭の中にインプットされている。実際に吐いたことはないが、仮に吐きそうになったら、胸ポケットに補充してある新たなストロング系を一気に飲めばいい。ちなみに、これはすべて勤務時間の話だ。
夢だった東京の出版社で一端の編集者として働くことはできたが、どうしてこんなことになってしまったのだろうか……? アルコールが切れて、虚無感が訪れた瞬間、学生時代の記憶が蘇る。
アメリカではまともに眠れなかった
気づいた頃にはビールを苦いものと思わず、おいしく飲むことができていた。それどころか、焼酎も「水やソーダで割るのではなく、ロックで飲むほうがうまい」と感じていた筆者だったが、いつの日からか友人たちに「アル中」と呼ばれるようになるまで飲むようになっていた。大学に入った当初は実家住まいだったため、大学生ではあるが、節度のある健康的な生活を送っていた。しかし、大学2年生になり、ひとり暮らしを始めてから、案の定生活リズムは崩れた。
別に朝までオールで宅飲みをしていたわけではない。純粋に朝、人に頼らなくては起きられないのだ。
もともと、小中高生の頃から朝は起きられず、一緒に登校する友達が玄関まで来ているのに、モタモタして5~10分は玄関で待たせていた。
しかし、アメリカの学校の始業時間は早く、朝の7時半か8時には1時間目が始まっていた。夜中3時くらいまで目が冴えていたのだから、そんな朝っぱらから覚醒して授業を受けられるわけがない。あと、なぜか筆者がいた地域の学校の教室は日中、電気をつけずに授業をしていたので眠くなってしまう。そして、クラスにひとりしかいない東洋人がウトウトしていたら、嫌でもみんな気になるに決まっている。
そのため、毎朝日本から持ち帰ったスターバックスのタンブラーに並々とコーヒーを入れ、ロッテの「BLACK BLACK」というガムを始終噛みながら、眠気と戦いながら授業を受けていた。アメリカの学校なのでガムは何も言われないし、タンブラーも和柄だったため、きっと「お茶でも入っているんだろう」と思われていた。
この頃から、カフェインに頼り切っていたため、もうなにかしらに依存しないといけないのは生まれたときからだったのかもしれない。
留年を恐れた結果、寝酒が習慣化
話は戻るが、明け方まで眠ることができないのが常だったため、大学生になっても9時半から始まる1限の時間にまず起きることはできなかった。しかも、この時間帯の講義は大体必須科目であり、寝坊して単位を落としたら再履修。それをまた落とせば再々履修。さらに、4年生になっても取れなければ再々々履修となり、それでも単位取得できなければ卒業できないのである。中には3年生に進級する前までに取得できていないと、留年してしまう科目もあった。ちなみに、自分の専攻の専門講義を指す「必修科目」ではなく「必須科目」である。要は「体育」や「語学」のことだ。そんなものを落として、留年なんてしたら親に怒られる……。
そこで、あるときから決心して、芋焼酎をコップに並々注いで飲んで、酔っ払って眠ろうとしていた。そのことを父に話したところ、留年しそうなことに関しては何も言われなかったが、飲酒行為は心配された。
「それはナイトキャップになってクセになるから、気をつけろよ」
当時はその意味がよくわからなかったが、社会人になってその意味が、心の底から理解できるようになった。
酩酊状態で公園で爆睡。待ち受けていたのは…
夜眠るためにひとりで酒を飲んでいたのは確かだが、それとは別に飲み会やコンパなど、季節ごとに仲間たちと飲むのが楽しかった。
新歓コンパ、夏合宿、花火大会、納涼祭、タコパ、学園祭、忘年会、新年会、追い出しコンパ……。気心の知れたサークルのメンバーたちと飲むことが、とにかく好きだったのだ。
「今日は飲み会があるぞ!」
自分の許容範囲を超えて飲んで居酒屋で叫ぶ者たち、彼氏・彼女との別れ話で泣き出す者たち、中華料理屋でゴマ団子投げ合っている先輩と後輩……。それら、すべてが愛おしく、飲み会には「非日常」があった。
筆者はどの席でもビール(発泡酒)のピッチャーを置いてもらえれば、先輩・後輩関係なく会話することができた。社会人になった今では考えられない3000円飲み放題、テーブルには安くて大しておいしくない揚げ物が並ぶ。それでも、自分も周りも飲んで騒ぐことができる場がとにかく好きで、飲み会の日は浮き足立っていた。
しかし、当然ながら何度も失敗してきている。飲みすぎて外置きの洗濯機に「くの字」で寝てしまったり、酔いつぶれてほかのメンバーたちに迷惑をかけることが何度もあった。
とある、コンパの帰り道、泥酔して公園で寝てしまう。目が覚めたら家には帰り着いていたのだが、カバンを失くしてしまった。中には財布と現金、iPodクラシックなど大事なものが入っていたため、「参ったな……」と思いながら最寄り駅に連絡を入れ、寝てしまった公園などをぐるぐる回ったが見つかる気配はない。なんとか携帯は手元にあったので、まだマシかと思っていたら、突然知らない番号から電話がかかってきた。
「こちらは〇〇警察署です。今すぐ本署まで来てください」
カバンが見つかったのかと思い、呑気に警察署に向かったら、取調室に入れられた。え?
前日のカバンを失くすまでの経緯を根掘り葉掘り聞かれ、それを警官がその場でタイピングして調書ができあがる。
「痛いな……」
軽音サークルの定期ライブが近かったため、多めに下ろしていたのだ。
最後にブラインド越しに小さな部屋の中にいるおじさんを見せられた。「この人物を知っていますか?」と言われたが、知るわけない。
「彼はあなたのカバンを置き引きした犯罪者です」
まさか、自分が酔い潰れたせいで人が逮捕されるとは……。それでは、現金とiPodもこの人が盗んだのかと聞いたら、どうやらおじさんが筆者のカバンを「隣町の公園」で盗んだときには、すでに金とiPodは入ってなかったという。この国の治安はどうなっているんだよ。
ウォッカをストレートで嗜むように
そんなこともあったが、毎回欠かさずに飲み会に参加するには金がいる。そこで、アルバイトで稼ごうと思い、家から歩いて15分くらいの場所にある漫画喫茶の求人に応募した。しかし、「その店舗は人手が足りているから、同じ沿線の店でいいなら採用してあげる」と言われてしまう。普段、大学と家を行き来するだけの生活のため、少しくらい都心に近づくのも悪くないなと思い、その条件で働き始める。
当時は飲み会代だけではなく、インドやフィリピンなどにサークルのメンバーたちと旅行する予定も立てていたため、ガンガンシフトに入れる職場を希望していた。働き始めた漫画喫茶は9~18時の9時間、18~23時までの5時間シフトだったため、週に2回は9時からシフトを入れられるようにカリキュラムを組み、長期休暇には5連勤することもあった。
おかげでたくさん働くことはできるのだが、そもそも9時半からの講義に出席できない人間である。そこで、夜寝るための酒をアルコール度数が25%の焼酎から、37.5%の韓国産のウォッカに変えた。350mlの小瓶に直接口をつけ、ストレートでそのまま煽る。喉が焼けるような辛さだが、さすがにそれだけのアルコールを一気に飲むと、すぐに酔いは回る。
毎日1/4ずつ飲んでいき、4日目に最寄りのコンビニで新たな小瓶を買う。その繰り返しの日々になったのだが、ようやく父の言っていたナイトキャップの意味がわかった。睡眠のために飲酒を習慣づけると、いくら疲れていても、もはやアルコールなしでは眠ることもできないのだ。挙げ句の果てに、アルコール耐性も徐々についていき、学生時代の途中から350mlのウォッカの瓶を半分飲まないと眠れなくなった。
ちなみに、接客業だったため、勤務中に飲むことはなく(そもそも、当時そんな発想はなかった)、講義もスッキリとした頭で受けたかったため、平日は昼から飲むことはなかった。
ただ、毎日「ウォッカを半分飲んでいる」という話と、飲み会のたびに浴びるようにピッチャーのビールを飲んでいたことから、「酒豪」や「飲兵衛」を通り越して「アル中」というあだ名をつけられてしまった。確かに、毎晩ウォッカを原液で180ml飲んでいるような人間だ。アル中と呼ばれても仕方がないだろう。
スピリタスにやられるも、あまり懲りず
すっかり、「酒飲みキャラ」が定着した筆者は、サークルの引退祝いでバカな後輩たちからアルコール度数96%の「スピリタス」をプレゼントしてもらった。
せっかくもらったので、恐る恐るチェイサーなしでちびちび飲んでみた。しかし、普段からウォッカを原液で飲んでいるせいか、「ほぼアルコール原液」なのに、苦なくストレートで飲むことができた。そして、気づいたら瓶の1/16くらいまで飲んでいた。
「アルコール度数96%もこんなもんか」
しかし、ふと気づいたら、布団の中にいた。眠りについた記憶がないのだが、スマホを見てみると、先程までスピリタスを飲んでいた時間帯だ。わけがわからないままLINEを見ると、山のように通知が溜まっている。よくみると、すべて「昨日」の投稿だ。どうやら、スピリタスを飲んで丸一日昏睡状態に陥って眠り続けていたのだ。
それに気づいた途端、とてつもない二日酔いに襲われてしまう。「もう二度とこんなバカな酒を飲むものか……」と便器を抱えながら誓ったが、結局1カ月くらいで瓶は空になった。それでも、やはりウォッカのほうが、自分自身でもコントロールしやすかったため、喉が焼けても引き続き、ウォッカを原液で飲むことをやめることはなかった。
酔って書いた文章のほうが面白い?
そんな楽しい学生生活も終焉を迎える。就職活動が始まったのだ。当時は卒業論文を必死に執筆していたため、大学院進学を目指していた。しかし、「稼げない」のと「このままずっと酒浸り」という生活が待ち受けていると思うと怖くなり、慌てて髪を切ってリクルートスーツを買ってもらう。
そして、いざ履歴書を書き始めるが、面白く書けない。当時、レポートも論文も酒気帯びで書いており、所属していた「ジャーナリズム研究会」のフリーペーパーの記事も酔っ払って書いて、翌日シラフの状態で整えていた。
社会人になって、まるで同じような状態に陥るのだが、この頃は「面白いアイデアは酔っていないと考えられない」という思いから、ウォッカを煽りながらレポート、履歴書、記事を書いていた。しかし、幸か不幸か、酔って書いた文章のほうが勢いあって面白い。就活ではエントリーシートの通過率は9割を超え、レポートもA判定をもらった。フリーペーパーの記事も酔っているときに書いたほうが、新たな視点が生まれるのだった。
しかし、結局これは「いい文章を書かないといけない」というプレッシャーに押し潰されそうになったため、アルコールに逃げただけである。しかも、就活が長引くにつれ、院試の時期が近づくにつれ、焦燥感に駆られてしまい、自律神経が乱れていく。病院で薬を処方してもらったが、それもウォッカで流し込んだ。
中島らもとの共通点を見出してしまう
そんな状態の時期にサークル内で「酔っ払っていないと文章が書けない」と言っていたところ、先輩から「まるで、中島らもだな」と言われてしまう。
筆者は『頭の中がカユいんだ』(集英社)などは読んでいたが、『今夜すべてのバーで』(講談社)は知らなかった。そこで、その日の帰り、ブックオフに寄って買った。そして、読み始めたところ、一気に読み終えてしまい、そのままウォッカを煽ってしまった。
あまりによくトリスを買いに行くので、近所の酒屋の主人がウィスキーグラスをおまけに紙袋に入れてくれたことがある。
「これは普通、リザーブにつけるおまけなんだけどね」
おれは、それ以来その酒屋へ二度と行かなかった。“憐れまれた”と思ったのだ。
先輩はこの文章に共感できると言っていた。ただ、2日にいっぺんコンビニで同じ店員にウォッカの会計をさせている筆者は、「まぁ、そこは……」と納得はしたものの、そこまでこのエピソードは染みなかった。
それよりも、ミステリーが書けない苦労から、執筆中にも関わらず酒に手を出すようになり、それがアルコール依存症のきっかけとなったというくだりは、筆者も近しいところがあったため、読んでいて怖くなった。
出版社で働くきっかけも、酒の勢いで
同じ頃、吾妻ひでおの『失踪日記』と『失踪日記2 アル中病棟』(共にイーストプレス)も読んだ。やはり、物書きはストレスやプレッシャーに耐えられなくなると、酒に走ってしまうのか……。
ただ、中島らもと吾妻ひでおよりも学生時代に読んで怯えた文章があった。それが、筒井康隆のショートショート『あるいは酒でいっぱいの海』(河出書房新社)に収録されている「アル中の嘆き」だ。
おれは今、地獄にいるんだ。そう。アル中で死んだ人間が落ちる地獄だ。いくら酒を飲んでも酔わない! こいつはまったく、死ぬ以上の苦しみだぜ! アル中にとってはな。
酒を飲むのは好きだが、結局のところ「酔いたい」「眠りたい」ために酒を飲むのである。それがいくら飲んでも酔えないのであれば、釜茹でなどよりも本当の地獄だなと読みながら震えてしまった。
そこで、恐れをなして「物書き」を志すのを辞めれば、健康的な未来が待っていたかもしれない。しかし、西村健太が『苦役列車』(新潮社)で芥川賞を受賞したのも同じ時期である。「酒に飲まれながらも、執筆活動を続ける物書きはカッコいい」と愚かにも思ってしまったのだ。古今東西、そうした作家たちが悲惨な末路を辿っているのはわかっている……。それでも、実感がまだ湧かなかったのだ。
そして、ウォッカを煽って履歴書を書き、そのまま酔った勢いで「働かせてください」とメールを送った出版社に、アルバイトで入ることになった。この半年後、社会人生活、つまり本格的なアル中人生が始まるのだが、その詳細はまたいずれ……。
<TEXT/千駄木雄大>
―[今日もなにかに依存中]―
【千駄木雄大】
編集者/ライター。1993年、福岡県生まれ。出版社に勤務する傍ら、「ARBAN」や「ギター・マガジン」(リットーミュージック)などで執筆活動中。著書に『奨学金、借りたら人生こうなった』(扶桑社新書)がある
![LDK (エル・ディー・ケー) 2024年10月号 [雑誌]](https://m.media-amazon.com/images/I/61-wQA+eveL._SL500_.jpg)
![Casa BRUTUS(カーサ ブルータス) 2024年 10月号[日本のBESTデザインホテル100]](https://m.media-amazon.com/images/I/31FtYkIUPEL._SL500_.jpg)
![LDK (エル・ディー・ケー) 2024年9月号 [雑誌]](https://m.media-amazon.com/images/I/51W6QgeZ2hL._SL500_.jpg)




![シービージャパン(CB JAPAN) ステンレスマグ [真空断熱 2層構造 460ml] + インナーカップ [食洗機対応 380ml] セット モカ ゴーマグカップセットM コンビニ コーヒーカップ CAFE GOMUG](https://m.media-amazon.com/images/I/31sVcj+-HCL._SL500_.jpg)



