年度末というこの時期は、公私ともに環境変化が重なり、本人が気づかないうちにストレスが積み上がっていく。
前編では、そうしたストレスがどのように心身に現れ、どんなサインを経て休職に至るのかを見てきた。
では、部下を持つ立場の人間は何ができるのか。「様子がおかしい」と気づいたとき、上司としてどう声をかければいいのか。
多くの人が「何かしてあげたい」と思うだろう。しかし産業医の大室正志氏は、その善意が必ずしも相手のためになるとは限らないと指摘する。
善意のケアが逆効果になる瞬間
どういうことか。過去に外資系企業で、こんな事例があったという。部下の様子を心配した上司が、カウンセリングの案内パンフレットを渡した。アメリカでは「よく気がつく、いい上司」と評価される行動だ。
しかし、日本人の部下は深く傷ついてしまった。
「『自分は病んでいると思われている』『評価が下がったのではないか』と受け取ってしまったんです」
このすれ違いは、個人の性格の問題ではない。文化の違いによるものだ。
「教科書的には、早期発見・早期ケアが正解です。
さらに、日本特有のハイコンテクストなコミュニケーションも影響する。
「『大丈夫?』と聞かれれば、『大丈夫です』と答える。でも、それは本当に大丈夫という意味ではないことも多い。言葉そのものより、文脈を読まないといけないんです」
配慮のつもりで仕事を減らすことも、別のリスクを生む。
「『これ、やらなくていいよ』と言われて、『助かった』ではなく『見切られた』と感じてしまう人もいます。言い方ひとつで、プライドを深く傷つけてしまうのです」
つまり、労務リスクを避けるための対応と、人としてのケアは、必ずしも一致しない。大室氏が現場で最も重視しているのは、「メンツへの配慮」だという。
「心に土足で踏み込まれたと感じた瞬間、人は心を閉ざします。ケアは大事ですが、それ以上にメンツを傷つけないことが重要なんです」
それでも踏み込むための「3つの段階」
多くの上司が悩むのは、「何もしないわけにはいかないが、下手に踏み込むのも怖い」という点だろう。メンタルの話題は、一歩間違えれば評価やハラスメントに直結する。だからこそ、「正しい言葉を探す」よりも、「踏み込む順番を間違えない」ことが重要になる。
大室氏が勧めるのは、あくまで段階的に距離を縮めていく方法だ。
ステップ1:休日の過ごし方を聞く
「いきなり『うつ病なんじゃないか』と踏み込まないことです。
ここで趣味を楽しんでいたり、充実した過ごし方をしていれば問題ありません。
気にするべきは、『ずっと寝てる』といった答えが返ってきた場合です。そこではじめて『じゃあ、結構疲れてるのかもね』と一歩踏み込む態勢に入ります」
逆に言えば、ここを飛ばしてしまうと、会話は一気に重くなる。いきなり「最近、元気なさそうだけど大丈夫?」と切り出すと、多くの部下は身構えてしまうのだ。
「観察されている」「問題視されている」と感じた瞬間、人は本音を引っ込める。雑談は遠回りに見えて、実は一番安全な入り口なのだ。
ステップ2:体調を聞く
次に聞くのが、体の不調だ。
「『最近、きちんと寝れてる?』『頭痛などはない?』といった体調を話題にします。
特に男性は、『心の問題』と言われると、弱さを突きつけられたように感じやすい傾向にありますが、体調の話なら答えやすいんです」
メンタル不調から来るものでも、一足飛びに「メンタル」とは言わない。体のパーツに分けて聞くことで、相手のメンツを守りながら状態を把握できる。
ステップ3:仕事の話に入る
最後に聞くのが、仕事の話題だ。
ただし、プライベートへの踏み込みには注意が必要だ。
「踏み込みすぎると、今度はハラスメントになる可能性があります。『どこまで聞いていいか』を知っておくことも、上司の役割です」
人事異動の季節に起きやすい、もう一つの危険
人事異動は環境が変わるだけでなく、人間関係が一度リセットされるタイミングでもある。これまでなら、ちょっとした雑談や空気感で補えていた関係性が、いったん白紙に戻る。その状態で、いきなり「仕事」だけが始まると、人は想像以上に不安定になるのだ。
「チャットで短い言葉だけでやり取りするのは、一見すると効率的ですが、人間は『よく知らない人の短い言葉』を、とても怖く感じる生き物なんです。
例えば、知り合って間もない上司からの『これ、今はどうなってる?』というメッセージ。それだけで『怒っているのではないか』と身構えてしまう部下もいるのです」
本来、人は仲良くなるほど言葉が短くなっていくもので、気の置けない友達同士になると「今日集合」「りょ」で済む場合もある。
しかし今の仕事現場では、その順序が逆転していて、あまり親しくない人とも、最初から短い言葉でのやり取りが始まってしまう。
「仕事と関係ない時間」が大切になる
肝になるのは、やはり最初の関係づくりだ。実は今でも有効なのが、歓迎会やランチミーティングといった直接顔を合わせる場だ。
オンライン化や効率化の流れで、こうした場は省略されがちだが、「仕事と関係のない話をする時間」には、想像以上の意味があると大室氏は説明する。
「長縄跳びは、最初に入れば後は飛ぶだけですよね。人事異動も同じです。最初の入りがうまくいかないと、ずっとギクシャクしてしまいます。
反対に、どんな人なのか、何に興味があるのかを知っていれば、その後の短い言葉の受け取り方は大きく変わります」
皮肉なことに、効率化が進むほど、最初の「仕事と関係ない時間」が重要になるのだ。
部下側が、自分を守るためにできること
ここまで上司の話をしてきたが、部下側にもできることがある。大室氏が勧めるのが、「質問3回の法則」だ。「人は、自分に興味を持ってくれた相手を敵だとは感じません。つまり、質問することは『私はあなたに敵意がありません』と伝えるサインなんです」
ポイントは、2回で終わらせないこと。3回質問して、初めて「ちゃんと興味を持ってくれた」と感じるのだという。
「例えば、
(Aさん)何かペットを飼ってますか?
(Bさん)犬を飼ってます。
(Aさん)何犬ですか?
(Bさん)柴犬です。
(Aさん)私も柴犬好きです!
一見、普通の会話に思えますが、質問を2回した後で、すぐに自分の話に持っていってます。
しかし、ここで『名前はなんていうんですか?』と3回目の質問をすると、Bさんは『自分に興味を持ってくれた』と感じるんです」
シンプルに思えるが、実際にこれができる人は意外と少ない。質問を躊躇してしまう人の多くは、「人目が気になる」のだと大室氏は言う。
「いわゆる自意識過剰です。思春期の男子学生が、後ろで女子が笑っていると『バカにされてる?』と考えるように、全部ベクトルが自分に向いている。そうなると、相手を知ろうとするより『自分がどう見られているか』ばかり考えてしまう。
だから、まわりの人に質問ができず、結果的に距離が縮まらないんです。本当に人に興味がある人は、『この人はどういうタイプなんだろう?』と相手を知ろうとします」
自分を気にするのをやめて、相手に興味を持つ。それが質問する勇気に繋がる。
「うまく関係を築く人は、待たない。最初のタイミングで、自分から一歩出ています」
3月は環境が変わり、関係がリセットされやすい季節。だからこそ、雑談を重ね、質問を繰り返し、相手を知る時間が必要になる。
それが、この時期を乗り切る最も確実な方法なのだ。
<取材・文/安倍川モチ子>
【安倍川モチ子】
東京在住のフリーライター。 お笑い、歴史、グルメ、美容・健康など、専門を作らずに興味の惹かれるまま幅広いジャンルで活動中。X(旧Twitter):@mochico_abekawa
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