一時は命の危機に瀕しながらも、執念で再び「M-1グランプリ」の舞台へ返り咲く――。吉本興業所属のお笑いコンビ・入間国際宣言の千葉ゴウさん(40歳)は、2025年1月31日に脳梗塞で倒れた。
合わせて、言語機能が低下する「失語症」も発症。漫才師としての武器である言葉の障害を抱えた。
しかし、2025年10月2日には「M-1グランプリ2025」の予選の舞台へと復帰。相方の西田どらやきさんと共に、お笑いへの情熱を傾ける。復帰までの約9ヶ月にあった闘病生活、そして、お笑いがなければ「人生、すげえつまんねえな」と吐露する現在の心境を尋ねた。

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脳の機能の70%がどこかに…

――千葉さんは2025年1月31日に脳梗塞で倒れて、失語症も患いました。1年が経過して、お身体はどのような状態ですか。

千葉ゴウ:徐々に回復しつつはあります。でも、倒れたときに脳の機能の70%がどこかに行っちゃったみたいなんです。健康な人が100%だとしたら、20~30%を行き来してるような。日によって5~10%にもなるし、それでもいいからしゃべるようにしています。コンビとして舞台へ立つとき、調子がよければ40%まで上がる日もありますが、袖へはけたとたんに10%まで落ちるときもあって、正直、めっちゃ悔しいです。

――こうした言葉を吐き出す場面では、どのような感覚に陥るのでしょうか。


千葉ゴウ:とりあえず、頭が真っ白になります。言いたいことがあっても「なんて言えばいいか」と迷うんですよ。ペラペラしゃべれて「調子がいい」と思ったとたん、グッと力んでしまってリズムがおかしくなってしまうときもあるし、けっこうなストレスです。

意識がハッキリ戻ったのは「2週間半後」

――そもそもの発端は、同期のお笑いコンビ・ウルトラスーパーコバタナックスの田中祐司さんとサウナに行った日だったそうですね。

千葉ゴウ:倒れた当日に何があったかは、鮮明に覚えていないんです。でも、なんとなくは覚えています。サウナでのいわゆる王道の流れで、2周目の外気浴をやっている最中に「あれ、ちょっとまずいかも」とは思ったんです。3周目の外気浴ではフワフワした感覚に陥って、田中に「ちょっと先出るわ」と言って脱衣所に行きました。でも、身体を拭かなきゃいけないのに、僕はどうやらタオルが見つからずにウロウロしていたみたいで。田中祐司も「様子おかしいよ」と、声をかけてくれたみたいです。

――のぼせるというより、頭が働いていないような状況だったのかもしれませんね。

千葉ゴウ:そうだと思います。で、田中祐司と一緒にサウナの近くにあった100円ローソン(ローソンストア100)に行って、アイスを買いに行くまでは覚えているんです。
でも、そこからの記憶が本当にうっすらで。自転車に乗っていたんですが、急に頭の中が真っ白になったと思ったらガシャーンと倒れてしまって、田中祐司が救急車を呼んでくれたみたいです。

意識が戻ったときは集中治療室で、なんとなく「身体をいじられてるな」程度の感覚はありました。でも、ハッキリとしていたわけではなく、ようやくハッキリと意識が戻ってきたのは2週間半後ぐらい。病室のスマホを見たら、たしか「2月17日」だったと思います。だいぶ危険な状況だったそうで死ぬ可能性もあり、見舞いに来た母と兄からは「万が一の場合、脳を削る措置をします」と医師に説明されたと聞きました。

もう「M-1」に出られないと思った

「脳の70%がどこかへ行った」脳梗塞で倒れた40歳漫才師、失語症でもM-1舞台に返り咲くまで
一時は自身のコンビ名さえパッと出てこない状態だった
――漫才師として、失語症によって「言葉が満足に出なくなる」というのは、ショックも強かったのではないでしょうか。

千葉ゴウ:仕方ないことですが、病院で説明を受けたときは「もう『M-1グランプリ』に出られないのかな」と思いました。でも、まともに生きるために「どうすればいいんだろう」とも考えていましたね。入院中は1日1回、言語のリハビリがあって。「今日は何日ですか?」と聞かれても「2025年……2月……」と、時間をかけないと答えが出てこないんです。コンビ名にしても「なんだっけ」となって、入間国際宣言の「国際」はかろうじて「ひらがなで書けます」と言ったり、今以上に、危うい状態だったとは思います。

自分の人生を貫くため、執念で舞台に復帰

――2025年9月2日には、自身のXで活動復帰を報告。療養も経て、その間はどのような生活を送っていたのでしょうか?

千葉ゴウ:一度、3月17日に退院したんですよ。
病院でのリハビリがきつかったので「もう出たいです」とお願いして。その後、アパートの契約更新があり、同期のお笑いコンビ・ゆにばーすの川瀬名人が「オレのところに来へんか?」と言ってくれて、ルームシェアをはじめました。でも、6月に病院から「千葉さん、もう1回手術しましょう」と連絡が来たんです。

結局、2ヶ月ほどの入院期間があり、ようやく退院できたのが2025年7月末ぐらいでした。夏を療養に費やさなければいけないのがきつかったんですが、退院後には体調もだいぶマシになって。で、その頃から毎日、時間にしては30分~1時間ほどでしたが、徐々にネタを書けるようになってきたんです。その後、8月中旬ぐらいにマネージャーと相方の好孝(西田どらやき)との打ち合わせがあり、僕は「絶対に『M-1グランプリ』には出たいので、復帰させてください」と言って、9月に仕事には復帰して、10月2日に行われた「M-1グランプリ2025」の1回戦で、舞台復帰しました。

――倒れてから約9ヶ月。一時は命の危機に瀕しながらも、舞台へ戻った事実からは、お笑い芸人への熱意や執念すら感じられます。

千葉ゴウ:お笑いを辞めてしまったら「人生、すげえつまんねえな」と、正直思うんですよ。何のために生きてるか分からないし、自分じゃなくなる可能性もあって。他に何かあるかといったら、何もない自分がいますし、一番得意なのは「お笑い」といっても過言ではないから。
僕が倒れたのを知った同級生が「辞めて、こっちに帰ってくるか」とも誘ってくれても、ありがたいですが断って、とにかく「M-1グランプリ」のために復帰しようと思っていました。

人生、なるようになる

「脳の70%がどこかへ行った」脳梗塞で倒れた40歳漫才師、失語症でもM-1舞台に返り咲くまで
ようやく倒れる前の日常が戻りつつある
――その歩みに、背中を押される読者もきっとたくさんいると思います。最後、千葉さんと同じく大病からの復帰に向けて励む方々への言葉もいただければ。

千葉ゴウ:閉じこもるのではなく、とりあえず光を見るようにとは伝えたいです。最初に退院してからはマイナスなことばかり考えていましたが、寝て起きて、窓から太陽を見たら「何かいいことがあるかもしれない」と素直に思えたんです。人生、なるようになりますから。実は、自分で考えたワークアウトが日課だったんですが、脳梗塞で倒れてからは運動を禁止されていたんです。でも、12月の終わりには筋トレも再開できました。一時は「絶対に走るな」と言われて、青信号がチカチカ点滅しても走れずに仕事へ遅刻していたのに、倒れる前の日常が戻ってきて、ささいな幸せも噛み締めています。

<取材・文/カネコシュウヘイ>
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