コンビニに駆け込み、「ストロング系」と呼ばれる缶チューハイを買い、そのまま胃に流し込む。
いくら飲んでも酔いつぶれることができなくなった。しかし、体は確実に蝕まれていくーー。
本連載では、20代でアルコール依存症になった、ひとりの編集者の転落と回復の日々を追う。
一応、夢を叶えた。酒浸りだけど…
サブカルチャーにのめり込む以前の幼少期の筆者は、お笑い芸人に憧れていた。それは、面白いというだけではなく、自身のコンプレックスを笑いに変えていくのが好きだったのだ。当然、そこには卑屈さはあるが、それを飲み込んで笑いに昇華していた。「芸人さんみたいな人間になりたい」
ただ、さすがにその世界で成功するのは難しいとはわかっていた。その一方でお笑い番組は好きだったため、時差のあるアメリカにいるにもかかわらず、朝方に起き上がって『M-1グランプリ』(テレビ朝日系)を生放送で見たりしていた。
そのうち、リアルタイムで見られる番組として朝(米国東部標準時)に放送されていた『タモリ倶楽部』(テレビ朝日系)を知った。同番組には旬の芸人だけではなく、編集者やライター、イラストレーターもよく出ていた。
「みうらじゅんや渡辺祐って誰だ?」
その後、偶然見つけた雑誌「宝島」(宝島社)の「VOW」の本編単行本で彼らの存在を知るわけだが、この頃は「バラエティ番組にも文化人枠があるのか」という思いを抱きながら、なんとなく「ライターや編集者としてテレビに出るのもありだな」と考えていた。
そして、大人になって東京で出版社の編集者になれたため、大好きなお笑い芸人にもたくさん取材できたし、コメンテーターとしてインターネット番組だが、テレビ局に収録で行くこともできた。子どもの頃に夢見ていたことはだいたい実現できた。酒浸りのため、毎日脳が麻痺しているということを除けば……。
健康診断は「5年連続D判定」で済んだ。済んだ?
コロナも終息しかけた頃には筆者も28歳になり、雑誌という斜陽産業に新入社員は入らないため、最年少の下っ端には変わりないが、ようやく原稿も整い出した。なんだったら先輩たちにダメ出しできるほど成長……。いや、ただ面の皮が厚くなっただけだ。
それでも、自分の原稿に対する「ダメ出しされるかもしれない」というプレッシャーは大幅に減ったため、校了期間中かつてほどのストレスは感じなくなった。むしろ、「もっと良いものを作ろう」と前向きだった。
ただ、筆者が入社した頃から編集部は随分と変わった。隔月誌になったのもそうだが、何人かの先輩編集者たちは卒業していき、結果的に5人以下の少数精鋭となり、任されるページ数も増えた。百何ページの雑誌で1折半(24ページ)をひとりで、号によっては2折り(32ページ)担当するときもあった。
卑屈な自分にとってみれば、これは自信につながり、何本も企画を任されることが自己肯定感につながった。土日、ゴールデンウィーク、盆暮正月も休みなく、毎日働いていたが、辛いと感じたことはなく、むしろ楽しかったのだ。いや、さすがにゴールデンウィークが一切なかったのはキツかったか……。
とはいえ、仕事以外にこれといった趣味はなかったため、常に忙しさだけを求め、そして昼から深夜まで馬車馬のように働き、一通り仕事を片付けてから就寝前1時間でストロング系を5本ガブ飲みするが「快楽」だった。
ここで「疲れた」と思って辞めてしまうと、学生時代に味わった漫画喫茶に戻らなくてはいけない……。極端な考え方だが、むしろそれがモチベーションとなり、ますます仕事にのめり込むようになった。
あと、デタラメなアルバイト先だったが、漫画喫茶は接客業なので忙しくて楽しかったし、漫画は出版社ごとに棚に並べられているため、版元の傾向を掴むこともできた。良くも悪くも働いた意味はあった。
このように「働き甲斐」を明確に感じられるようになったが、徐々に体は蝕まれていった。
年に1回は会社の福利厚生で健康診断を受けられたのだが、基本的に肝臓と体重以外は問題なかった。肝臓は入社から何年経ってもD判定だった。ただ、20代中盤でもγ-GTは100を超えているくらいだったため、医者からも「気を付けてくださいね」と言われる程度で、筆者もそこまで重く捉えてなかった。
「大人は毎晩お酒を飲んでいるんだから、肝臓能値も糖尿病も40歳くらいまでは大丈夫かな」
そんな甘い考えで健康診断の前日も酒を飲み、焼肉か中華料理を食らい、タバコを吸っていたため、結果は5年連続D判定で済んだ。まだ、この頃は「習慣飲酒」なだけで、「連続飲酒」ではなかったため、そこまで身体に響かなかったのだろう。毎晩、ストロング系を5本も飲んでいたわけだが……。
そのため、ストレスチェックで異常値が出たのと、たった1年で30キロ体重が増えたことで産業医には目を付けられていた。毎度のことかもしれないが「あのとき、真剣に相談していれば……」とは、後の祭りだ。
1日1食の食生活も健康的とはいえないが、日中に食欲が沸かないのだから、どうしようもない。真夜中にたらふく食べているため、24時間経たないと腹が減らないのだ。
例えばランチ・ミーティングなどが入ると、まだ胃の中には前日の酒と消化しきれていない食べ物で満たされていたため、苦痛に感じることもあった。というか、朝も起きられないので、正午から始まるイベントはだいたい不調の中、参加していた。
そのくせ、コロナ禍で牛丼屋も時短営業となってしまうと、最終的に丸1年間マクドナルドのハンバーガーを晩御飯として食べていたため、もはや己の意思で身体を壊していた気もする。
ただ、ジャンクフードとストロング系というのは食い合わせがいいのだ。カスの『孤独のグルメ』である。
禁酒法時代のように隠れて飲酒する始末
順調にキャリアを積んでいき、ついには特集によっては自分がイニシアティブを握るようになった。20代後半でようやく手にしたポジションである。それはもう、イキり立っていた。
しかし、いくら働いても、いい記事を作っても、最高の表紙ができても雑誌が売れない……。雑誌読み放題サービスのバブルは崩壊してしまい、雑誌存続のためにさまざまな施策を試さなければならなくなった。
こうなると、「雑誌の売れ行き」というのは新たなストレスになった。本来は自分の健康のことだけをまず、考えなければならないものだが、少子高齢化社会や親の介護など余計な心配を抱えてしまうような筆者だ。
そんな中、母親と妹と暮らすようになった。要は「私生活が終わっている息子」のことを心配していたのだ。
さすがに家族の前で毎日ストロング系を5本もプシュプシュ開けて飲んでいられない。
空き缶は台所に捨てるとバレるため、夜中にマンションの共有用のゴミ捨て場に捨てに行くか、仕事用のリュックサックの中に隠した。そして、翌日、会社内の自動販売機の隣に設置されてあるゴミ箱に捨てていた。週に何度か空き缶の回収のために業者がやってくるのだが、缶コーヒーに混じってそこそこの量のストロング系の缶が捨ててあることに驚いただろう。
そして、この頃、家族で住んでいたのは繁華街である。筆者が帰宅する終電過ぎはガールズバーやキャバクラのキャッチでいっぱいなのだが、そこを通過しないと帰宅できないのである。
そして、彼らは強引に呼びかける。無視しても手を引っ張ってきたこともある。2020年代だぞ?
「どうすれば、このキャッチに声をかけられずに済むのか……」
そこで、そのキャッチたちでミチミチの通りを歩くときは、事前に500mlのロング缶を飲みながら歩くことにした。すると、向こうも「もう飲んでいるなら声かけられないな」と思ったのか、誰からも声をかけられなくなった。
ただ、毎晩飲みながら帰っていたため、あるとき若いキャッチに声をかけられた。
「おっす! スト缶のアニキ! 今日もうまそうに飲んでいますね」
それは、毎晩のようにストロング系を飲みながら歩いている球体みたいな体型の筆者である。
「肝硬変になるような数字」にさすがにビビる
その頃、雑誌の仕事と並行して何気なく始めたライター業が当たった。そこからは、雑誌の編集者としての本業とライターという副業の両方を回さなくてはならなくなった。忙しさはさらに増していき、もはや「睡眠時間はいらない」と思ったほどである。そんなことをいいながら、過眠症なので10時間くらい寝るのだが……。
こうなってくると、時間と抱えている業務量に押しつぶされるようになった。平日は深夜まで雑誌の仕事に邁進し、週末も昼から晩までライターの仕事に精を出した。
そして、かねてからの悪癖だが、アルコール摂取をしながらのほうが、いい文章を書けている気がする……。そこで、夜にもう一踏ん張りするために、景気付けに追加で1本飲むようになった。
「19時に飲んでも、どうせ寝るのは2時とか3時だから、それまでには体内のアルコールも抜けているだろう」
夜遅くになるとオフィスからも人が少なくなるため、近くのコンビニで350ml缶を購入してがぶ飲みして、また仕事に戻る。すると、集中力と無精力が格段に上がるのだ。
「自分は今、酒の力ですごい文章を書いている! 俺って天才かも?」
単純に気分が高揚しただけであるが、確かに酒を飲むことで執筆は捗った。業務用のメールは打てない。
しかし、酒の力を借りなければ捌ききれない数の原稿の編集と執筆に追われていたのは確かだ。当初は夕方頃に1本飲んでいたのも、気が付いたら2本追加されていた。
当時はまだテレワークで会社もフリーアドレスだったため、社内にそんなに人はいない。また、飲酒しても顔が赤くなったり、人が変わるようなことがなかったため、コンビニで慌てて2本購入して飲み干したあとも、平気な顔をして会社に戻ることができた。
というのも、マスクのおかげである。以前、合コンで知り合った看護師から、こう言われたのだ。
「わたし、朝まで飲み歩いていることが多くて、翌日も酒臭いときがあるんですよ。でも、酒の匂いは口からしかしないため、マスクを付けていればバレません。わたしはそれで手術にも臨んでいます」
どうやら、筆者だけではなく、この社会を生きる人たちはみんなデタラメなやり方で仕事をしているようだ……。
しかし、実際にマスクをしていることで、勤務中に酒を飲んでいることはバレなかった。
それはそれとして、いよいよ毎日のストロング系の飲酒量が7本を超えた。すると、ついに29歳の健康診断でのγ-GTが600を超えてしまったので、ついに医者から「要治療」ということで呼び出された。普通だったら肝硬変になるような数字である。
ただ、このときも「前日に友人の結婚式で朝から晩までしこたま酒を飲んだのだから、それの影響だろう」と勝手に判断した。あとは、体重と脂肪肝もそろそろシャレにならなくなってしまったため、運動を勧められた。
しかし、朝は起きられずに夜は飲酒しながら仕事に勤しんでいる身である。それと、喫煙者だ。ちょっとした運動でも嘔吐してしまう可能性は十分にある。
そこで、職場から家に帰るときに2時間くらいかけて2万歩は歩くようにした。本来であれば健康のための運動なのだが、夏に差し掛かっているので、少し歩くだけでも喉が乾く。それに、ただ歩くだけではつまらない。
そこで、帰り道にあるコンビニでストロング系を購入。飲みながら歩くと、つまらない散歩も一気に楽しくなる。そのうち、夜の散歩が楽しくなってしまい、飲みながら帰りたいがために、18時に仕事を終えたのはいいが、その後は日付が変わるまでストロング系を2本飲みながら、もう片方の手にはスマートフォンで『太田上田』の動画を見ながら、歩き回るようになった。
そして、ヘトヘトになりながら家に帰り着き、また家族に隠れて酒を飲む……。考えてみると、この頃から生きるための比重が酒に大きく傾いたのだろう。もはや、仕事よりも飲むことが優先されてしまう「精神依存の重篤化」である。
連続飲酒が加速し、ついに原稿が書けなくなる
そんな中、17時くらいから日付が過ぎるまでに7本飲んでいたのが祟ったのか、昼過ぎに目覚めてタバコを吸って会社に向かおうとする道中、吐き気が止まらなくなった。二日酔いではない。めまい、吐き気、体の震え……。なんとか、落ち着かせるために、まずはエナジードリンク(以下、エナドリ)の500ml缶を飲んだ。なんとか、体調は落ち着いたので、そのまま出社した。しかし、徐々に症状は悪化してくる。起き抜けだけではなく、勤務中の昼間にもこのような症状に襲われるようになった。すでに2本目のエナドリは飲んでいるが、効果は薄れている。
「酒……。酒を飲みたい」
体調なのか精神的なものなのかわからないが、飲まずには吐き気が止まらないだけではなく、思考もまとまらない。そして、ついに昼間から酒を飲むようになった。そうしなければ、身体が保たないのだ。
その挙句、飲酒していないと頭がボーっとしてしまうため、原稿すら書けなくなった。ついに仕事にも支障が出た。
いよいよ、「連続飲酒(酒を数時間おきに飲み続け、絶えず体にアルコールのある状態)」に陥ってしまったため、昼間に3本ストロング系を飲みながら出社、あるいは会社に行くまでの間にうろちょろ歩き回り、スマホでマンガか王様を危険な目に遭わせる広告のパズルゲームに興じながら3本をすぐさま飲み干した。
さらに低気圧の日はストロング系を一気飲みすることで、無理やり血流のめぐりを良くしていたため、どこか体調不良があるとコンビニに駆け込んだ。
そして、夕方は休息がてら勤務先周辺を歩き回りながら3本を路上飲み。そして、帰り道にまた3本飲みながら帰路に着く。
飲酒のためにファッションも深いポケットが多く付いているワークシャツとジャケットを好むようになった。なぜなら、そこに「補充用」の缶を入れられるからだ。
さらに、最後に家に着いて堂々と1本飲む。家族はここに至るまで9本も飲んでいることを知らないため、「晩酌に1本飲むだけなら……」と錯覚してしまうのだ。
これで10本。シラフの状態がないため、常に内臓のどこかしらが傷んでおり、また腹もストロング系でタプタプだが、飲まないとまともに生活が送れないため、無理をしてでも飲んでいた。これをアルコール依存症と言わずして、なんという?
毎晩話しかけてくるキャッチからも「毎日それ(ストロング系)飲んでいるのはヤバいっすよ」と心配されるようになった。
その後、なにも言わずに引っ越してしまったため、あのキャッチは多分、筆者は死んだと思っているはずだ。
8年間で「一生分の酒を飲み切った」
しかし、迎え酒に次ぐ迎え酒である。酒を飲まなければ身体は落ち着かないのだが、続けざまに飲んでいると、大量飲酒のため、飲みながら吐き気を催すわ、頭がボーッとするのは治ったが、頭痛はするわ、身体そのものは常に怠い。ただ、飲まないと道端でのたうち回るほど、吐き気に襲われ、思考がまとまらなくなる。「死ぬのかな……?」
そもそも、γ-GTが600を超えているため、酒を控えなければならないのだが、もう飲まなければ生きていけないのだ。ただ、このままだと死ぬのは分かっている。シラフでも酩酊状態でもどちらにしても、どこかしら具合が悪いからだ。
ただ、ここで人生が終わってもいいかもしれないーー。子どものときよりも卑屈さは薄れ、夢だった雑誌編集者にもなれた。それに何者でもないのに本も出せた。
「ジム・モリソンやカート・コバーンのように27歳では死ねなかったけど、28歳ならまだ誤差の範囲内だ」
実際にロックスターたちも過度なプレッシャーに耐えかねずに酒やドラッグなどに手を染めて、自らの死期を早めた。でも、筆者の場合はストロング系である……。
「いや、これはダサいな……。やっぱり、もう少し生きたいかも」
結果、再診でγ-GTが、一般的に40~60が平均値とされる中、筆者は「2410」という数字を叩き出した。60倍である。
旧γ-GTPだと「1157」という数字なのだが、中島らもの『今夜、すべてのバーで』(講談社)にはこんな一節がある。
「生きてるのが不思議なくらいの数字だよ、これは。γGTPが一三〇〇だって……いったいれくらい飲んだんだ」
「一本くらいですね」
「毎日かね」
「毎日です」
「それを何年くらい」
「十八からですからね。十七年くらいかな」
ちなみに、中島らもが入院したのは36歳のときであるが、当時の筆者はまだ29歳だった。あと、普通に筆者は糖尿病の予備軍にもなっていた。
主治医からは「アルコール専門の病院紹介してあげます」と紹介状をもらった。
「ようやく、この酒浸り生活から抜け出せる……」
誰かに止めてもらわなければ、自分の力では絶対に抜け出せないのはわかっていたので、安心した。
とはいえ、アルコール専門の病院とはメンタルクリニックのことである。さすがに、うつ病と診断されてしまうのは嫌だったが、もう親は悲鳴を上げている。
これ以上心配させると……というか、命の危険もあったので、紹介された病院に直行。そこで、断酒補助薬であるレグテクトといくつかの睡眠導入剤と抗うつ薬を処方してもらい、その日の晩から飲み始めた。すると、スッパリと酒への未練がなくなった。
「これまで何度も休肝日を設けようとした努力はなんだったんだ……」
こうして今は、毎晩ノンアルコール飲料を4本飲んで睡眠導入剤を流し込みながら、電子タバコを吸い、YouTubeで犬とか猫の動画を見ている。すっかり、去勢されたような気分だ。
それでも、酒から抜け出せて本当によかったと思っている。今はいつも頭はスッキリしているし、吐き気もしない。なによりも、酒をやめた途端、γ-GTは200まで減った。
どう考えたって、8年という短い期間に飲みすぎていたのだ。一生分の酒を飲み切った。
こうして、ストロング系から抜け出した筆者だったが、まさかこの後、ほかの物に依存するとはまさか思わなかったが……。
<TEXT/千駄木雄大>
―[今日もなにかに依存中]―
【千駄木雄大】
編集者/ライター。1993年、福岡県生まれ。出版社に勤務する傍ら、「ARBAN」や「ギター・マガジン」(リットーミュージック)などで執筆活動中。著書に『奨学金、借りたら人生こうなった』(扶桑社新書)がある
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