天皇は徳川秀忠に私信で敬語を使っていた
基本的に禁中並公家中諸法度は、それまでの慣習法の成文化です。たとえば第二条では、「天皇、三公(現職摂関、大臣)、親王、前官三公、諸親王(世襲親王家の三世以下)、前官清華家大臣」の序列とされます。ちなみに後水尾天皇は私信で秀忠に「秀忠公」などと敬語を使っています。天皇も敬語を使うような貴人は、実質的に准皇族なのです。形式的には、「准三后」という称号がありました。皇后・皇太后・太皇太后に准じるから、准三后(准后とも准三宮とも)です。
そもそも天皇の代行者である摂政など、古代では皇族しかなれませんでした。しかし平安以降に運用が変化し、人臣摂政が常例となりました。人臣最初の摂政とされる藤原良房は、准皇族のような存在です(『嘘だらけの日本中世史』十八頁)。五摂家の「皇族にはなれないけど、他の公家とは違う」との意識は、歴史に根拠があるのです。
禁中並公家中諸法度は朝廷を徳川の支配下に置く目的の定め
と言う風に、禁中並公家中諸法度の中身は、皇室の伝統を踏まえています。しかし禁中並公家中諸法度は、朝廷を徳川の支配下に置く目的の定めです。いかに立派な美辞麗句も、本音が邪悪だと悪用しかされません。そして尤もらしい言葉を並べても、内容は皇室をコケにする条文のオンパレード。めぼしい条文を拾い出すと……。第八条は、「改元は漢朝の元号から吉例を選ぶこと。ただし、儀礼に習熟したら、日本の先例に習って良い」です。また、第十六条は、「(高貴の証である)紫の衣を天皇が乱発しているが、よく考えて与えるべきである」です。
一事が万事、この調子です。こんなのは「ロボット説」の序の口。押し付けられた後水尾天皇も、今は従うしかありません。
元和偃武(げんなえんぶ)は徳川の元号
一六一五(慶長二十)年七月、改元が行われ、「元和」とされます。元和は唐の元号です。幕府が押し付けた元号で、知識層からは不評でした(久保貴子『近世の朝廷運営』岩田書院、一九九八年、五九~六五頁)。そう言えば最近も、ことごとく皇室の先例を無視し、「国民の元号だ」と大威張りだった総理大臣がいました。改元寸前の平成三十一(二〇一九)年に『週刊SPA!』で毎週のように批判していた人がいたような気がしますけど、どうしても名前が思い出せん……。く、く、く、くら……。
江戸幕府にとって「潰すと面倒臭いから残す」朝廷
それはそうと、一六一六年二月、家康が病気になります。朝廷は家康に見舞いの意味で、太政大臣の位を送ります。しかし、四月に死去。家康の弔いは念入りに行われたのですが、その中で大事な儀式が神号宣下。秀吉が「大明神」だったので、それより格上にと「大権現」とされました。江戸幕府にとって、朝廷は利用価値があるのです。まさに「潰すと面倒臭いから残すので、利用するところだけは利用する」です。
一六一七年、天皇と仲の悪かった父、後陽成上皇が崩御。即位の際に嫌がらせをされて以来、険悪な関係だったのですが、天皇は父に「後陽成院」と追号します。
こんなことくらいは、天皇の自由になります。後水尾天皇、さらに亡き父をコケにするのですが、それは六十三年も後の話。
さっさと他に妻子をつくっていた後水尾天皇
大御所家康に後陽成上皇と、幕府と朝廷に不幸が続き、将軍・徳川秀忠の娘・和子の入内が先延ばしになっていましたが、一六一八(元和四)年に本格化させます。しかし後水尾天皇は、さっさと他に妻子をつくっていました。妻は通称・およつ御寮人。猪熊事件の猪熊教利の実妹。息子は賀茂宮です。さらに、秀忠が外様大名の福島正則の改易問題で忙殺されていた時に、およつが子ども(女の子で、梅宮)を生んだので大爆発。およつの兄や関係者を追放しています。およつ御寮人事件と呼ばれます。
この時、天皇が「私の不徳の致すところで公家諸法度を押し付けられた。
ちなみに梅宮(文智女王)、後に後水尾上皇や和子の側近になるのですから、世の中わからんものです。
天皇の子どもが徳川に「間引かれている」との噂
一六二〇年六月、和子入内が実現。前後して、およつの兄らが赦免されます。すべて幕府の意向通り。ちなみに、朝廷が和子(かずこ)の読み方を「宮中では濁音はよろしくない」などと「まさこ」に改名させる細やかな嫌がらせで抵抗したとの説もありますが、本当かどうかわからないそうです。なぜなら、本当に初名が「かずこ」と読んだかどうか、わからないからだそうで(久保貴子『徳川和子』吉川弘文館、二〇〇八年、七頁)。
ほどなくして、「和子が産んだ子供以外は、徳川の手の者によって間引かれている」との噂が流れます。
賀茂宮が四歳で夭折したから信憑性が出たのですが、本当でしょうか。
天皇と和子との子も、七人の内三人が夭折しています。江戸時代は幼児死亡率が高い時代ですから。ただ、「そういう噂が流れた」という事実が大事です。秀忠と後水尾天皇の関係、完全に冷え切っていましたが、角逐の激しさがわかります。
元号に関して主導権を放さない歴代幕閣
一六二三年、秀忠は上洛。息子家光への将軍宣下を要請します。と言っても、天皇に拒否権はありませんが。秀忠は、その手数料の如く、禁裏御料を一万石増額して計二万石に増やしてあげます。翌年、寛永に改元します。さすがに日本の先例に習って、漢籍から二文字を取って名付けました。ただ、将軍の代替わりだから改元したとの説もあります(山田忠雄「近世の元号雑感―改元をめぐる民衆の反応あれこれ―」『歴史評論』三四九、一九七九年)。
こんな調子で歴代幕閣は、元号に関して主導権を放しません。幕末には嘘のように、朝廷にやりたい放題やられますが、今はまだまだ江戸前期。
一刻も早く「天皇の外祖父」になりたい幕府
この年十一月、和子が女子を産みました。後の明正天皇です。天皇、女性には優しかったらしく、和子さん個人との関係は良好だったようです。ちなみに摂関政治の時代から、「天皇は正室との間に子供をつくるまでは、ヨソでつくるな」が不文律でした。そうしないと、正室の実家をコケにすることになるからです。天皇に娘を嫁がせるとは、産んだ子供が天皇になった時、「天皇の祖父」になりたいからです。外祖父でも、お爺さんはお爺さんです。それを阻まれるのは死活問題になりかねませんから、子作りは監視されているのです。
一六二六(寛永三)年、和子は無事に男子出産。即座に親王宣下、高仁(すけひと)親王です。天皇は一六二九年に高仁親王に譲位する意向を伝えます。幕府も同意します。そらそうでしょう。なれるものなら、一刻も早く「天皇の外祖父」になりたい。
この一六二六年、大御所秀忠と将軍家光は揃って上洛。秀吉の時代の聚楽第行幸に倣って、天皇に二条行幸を仰ぎ、豪勢に接待しました。徳川の権力を誇示するためだから、湯水のごとく金を使います。
【倉山 満】
皇室史家。憲政史研究家。1973年、香川県生まれ。救国シンクタンク理事長兼所長。中央大学文学部史学科を卒業後、同大学院博士前期課程修了。在学中から’15年まで、国士舘大学日本政教研究所非常勤職員を務める。現在は、「倉山塾」塾長、ネット放送局「チャンネルくらら」などを主宰。著書に『13歳からの「くにまもり」』など多数。ベストセラー「嘘だらけシリーズ」の最新作『噓だらけの日本近世史』が2月28日より発売
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