それでも、周囲のメンバーに支えられてステージに立ち続け、アイドル歴は10年に。中学時代から現在まで、数々の困難を乗りこえてきた彼女は「この10年で積み上げてきたものを1つひとつ、自信に繋げていきたい」と前を向く。
「汗をかくと症状があらわれる病気」に苦しむ
――チャンチーさんはかつて「コリン性蕁麻疹(じんましん)」にかかり、苦しんだと明かしています。汗をかくと症状があらわれる病気だそうですが、今はもう治ったんですか?チャンチー:ハッキリと診断されたわけではないんです。でも、約2年前には症状が出なくなり、病院でも「様子をみる必要はありますが、大丈夫だと思います」と言われて、今はすっかりよくなりました。
――ステージで歌い踊るアイドルとして、汗の病気を患うのは致命的とも思います。そもそも、どのようなきっかけで発覚したんでしょうか。
チャンチー:数年前、以前の事務所に所属していた当時に突然、ライブ後にバーッとじんましんが出てしまったんです。身体が赤い斑点だらけになり、顔も原形をとどめないほどパンパンにふくれ上がってしまって「おかしい」とは思いました。時間が経てばおさまるかと思ったんですけど、歩いたり、お風呂に入ったりしても症状が出るようになってしまって、病院に行ったら「コリン性蕁麻疹です」と言われました。
ファンの前では気丈にふるまう
――チャンチーさんのXでの投稿を見て、初めてその病名を知りました。治療できる病院は、すぐに見つかったんでしょうか。チャンチー:最初は、小さな街中の病院に行きました。
――当時すでに、アイドルとしてのステージには立っていて。ライブを続けながら、支障はなかったのでしょうか。
チャンチー:ステージ上で「ヤバい、じんましんが出る!」と思う瞬間もありました。でも、実際に症状が出たのは運動をやめたあと、ステージをはけてからでしたね。ライブ後にはファンのみなさんと交流する特典会もあるので、顔のむくみや目の腫れを抑えようと必死でした。頭がフラフラしながらも、ファンのみなさんの前では辛さを見せないようにしていました。
喉が締め付けられ「ヤバい、死ぬかも」と
チャンチー:ライブ後にはのぼせてしまうときもあったので、頭を冷ますために氷を当ててくれたり、髪もメイクも直してくれたんです。レッスンでも、私が汗をかかないように、寒くても冷房をガンガンかけてくれました。
――ただ、メンバーに支えられる場面を離れて、日常生活でも支障はあったんでしょうか。
チャンチー:一度「ヤバい、死ぬかも」と感じたこともありました。喉が締め付けられ、ぜんそくのような発作が止まらなくなったんです。普段も、10分歩くと症状が出てしまったり、睡眠不足でもじんましんが出る日もあったので、身体を気遣うのが大変でした。お風呂も5分とつかっていられないし、遅刻するとわかってもダッシュできなかったんです。以前の事務所でも「アイドルを続けられないかもしれない」と思って、正直、悩みました。
――それでも、アイドルを辞めずに。事務所には、病気について相談したんでしょうか。
チャンチー:ライブで症状が出てしまうし、伝えていました。以前の事務所ではスタッフさんから「もう無理だし、アイドルは辞めた方がいい」と言われていたんです。でも、そもそも「コリン性蕁麻疹」だと判明した辺りで、そのグループは辞めようと思っていたし、きっぱり卒業しました。
実は、今の事務所に所属するまでには別のオーディションも受けたんですけど、病気への「責任が取れません」と言われて、合格を取り消されてしまって。今のBLUEGOATSの事務所では「大丈夫だよ」と言ってもらうことができて、アイドルを続けられました。
孤独をアイドルが埋めてくれた
――一時はコリン性蕁麻疹に苦しみながらも、アイドルを続けてきた背景として。そもそも、アイドルへの憧れは強かったのでしょうか。チャンチー:ステージ経験としては、幼い頃からダンスを習っていたんです。2、3歳から小学6年生まで、ロックダンスやヒップホップを習っていました。運動も得意だったし、中学時代は活発で人生も順調だったんです。でも、だんだんと人間関係にくじけてしまって、それがアイドルになろうとするきっかけでした。
――その当時、何があったんでしょう?
チャンチー:クラス替えで仲のいい友だちが極端に減ってしまい、孤立してしまったんです。1人だけ親友と呼べる子はいたんですけど、風邪で学校を1週間ほど休み、学校に戻ったら、その子が他の子と仲良くなっていて輪に入れなくなってしまって。仮病で学校を休むほどショックでしたし、かつて力を入れていたダンスも辞めていたので「何のために生きてるんだろう」と、虚無になってしまったんです。
でも当時、落ち込む私を支えてくれたのが、キラキラしたももいろクローバーZ(以下、ももクロ)さんでした。リーダーの百田夏菜子さんに対して「芯があってカッコいい。この人みたいになりたい!」と思って。同じ目標に向かえるメンバーの存在がうらやましかったし、私もアイドルになろうと決めました。
中学生ながら「しっかりしなきゃ」と…
チャンチー:アイドルのオーディションサイトを見て、応募しました。最初のグループはデビュー前で、ももクロさんが結成初期にワゴン車で全国を回っていたように、ゼロからデビューして這い上がり「努力すれば夢が叶う」と、身をもって証明したかったんです。でも、親に内緒で受けていて、中学生だったので事務所と契約するときに打ち明けざるをえなかったんです。反対されることはなく「学校でちゃんと勉強するなら」と言って、受け入れてくれたのでホッとしました。
――親御さんの許しも得て。いざ、デビューしてからはどのような活動をしていたのでしょう。
チャンチー:地下アイドルの常識を知らなくて、メイクを自分たちでやるのに驚きました。デビューした会場は小さなライブハウスで、アイドルといえばももクロさんをテレビ越しに見るだけだったので、生のコールにもビックリしたんです。
でも、一番衝撃的だったのは、デビューして1年後に十数人いたメンバーが、3人だけになったことでした(苦笑)。当初の最年長は20代で、私は中学生なのでダントツで年下だったんですけど、次々とメンバーが辞めていく環境では、自然と「しっかりしなきゃ」という気持ちが芽生えました。義務教育だったから、もちろんアルバイトすらしたことなくて。当時、初めて「飛ぶ」という言葉の意味を知りました(笑)。
――いわば、初めての社会人経験だったわけですから。
チャンチー:中高一貫校で勉強に力を入れていたし、グループは年平均で考えると月の通算で30本ほどのライブをこなしていたので、しんどかったです。高校時代まではライブが終わったら、帰って朝まで勉強する日もあって。テストでは、赤点ギリギリを目標にしていました。
高校3年生になってからは、看護大学への受験もあったんです。親は「大学に行って、将来は就職してほしい」と考えていて、アイドルは続けるつもりだったんですけど、私も「資格を取ったら安心してくれるかな」と思って、看護師をめざしたんです。幸いにも高校にあった推薦枠にうまく引っかかって、高校3年生の11月には合格しました。
同級生の裏切りで中退するハメに
――看護大学へ入学後も、1社目の事務所での活動は続いていたんですね。チャンチー:でも、事務所のスタッフさんがギスギスしていて、嫌になっちゃったんです。辞めると伝えたら「そんな気持ちのメンバーがいると邪魔」だと言われて、口も聞いてくれなくなって。卒業ライブはあったんですけど、自分の中でも吹っ切れていたのでいっさい泣かなかったです(笑)。
――そして、2021年11月には、現在所属するBLUEGOATSのメンバーとしてデビューします。
チャンチー:以前の事務所を辞めてから、3ヶ月ほどの期間がありました。以前のグループでもアイドルとして目の前の活動へ必死に食らいついていたけど、「コリン性蕁麻疹」を抱えていたのもあり、空白期間で「自分って本当にアイドルをやりたいのかな」と考えたんです。
私としては「横浜アリーナのような大きい会場をめざさなければ、意味がない」と思っていたんですけど、活動していれば給料が出るし大きな目標を立てなくてもいいと考えるアイドルの子も実際にいて、志の異なるメンバーと一緒に「やってもなぁ…」というためらいもあって。でも、以前の事務所を辞めて1ヶ月ほどしたら、結局、アイドルを自然と追っていた自分がいたし、もう一度戻ろうと決めました。
――ただ、必ずしも順風満帆ではなくて。グループ公式のYouTubeチャンネルにアップされた「喘ぎ声カラオケ」など、過激ともされる企画動画をきっかけに、中退を強いられたそうですね。
チャンチー:コロナ禍でTikTokを頑張っていたのもあって、大学の同級生にも、アイドルとしての活動はバレていたと思うんです。全員に打ち明けていたわけではなく、直接伝えていたのは信用できる仲のいい数人でした。
でも、クラスメイトの誰かにTikTokの企画動画のことを大学にバラされてしまって……。看護実習もようやく落ち着いて勉強に専念できると思ったのに、辞めることになりました。
中退を伝えた際、両親の反応は?
チャンチー:マジで修羅場でした。中退についての面談では先生の辞めろオーラがすごかったし「どうする?」と聞かれて「アイドルを続けたいので、ここを辞めます」と言いました。
付き添ってくれたお父さんは優しくて、最初は「学費も高いしどうするんだ」と言っていたんですけど、面談後には私が「幸せなのが一番」と納得してくれたんです。お母さんも「マジでどうしてくれんのよ!」と怒っていましたけど、数日後に私が「自分の中では、アイドルをやると決まってる」と言ったら「それなら頑張りなさい」と、理解を示してくれました。
――振り返ってみて、中退した後悔はいっさいないですか?
チャンチー:まったくないです。睡眠時間が2~3時間の毎日で、せっかく頑張って取った単位が無駄になってしまった悔しさはあったけど、今の事務所のスタッフの方々、メンバーと一緒にめざすものがあるので。そもそも、中学時代にアイドルの世界へ飛び込んでから10年が経ったんですけど、夢や目標を叶えなければ、これまでのアイドル人生も身にならなくなってしまうと思っています。
「100km駅伝完走」で得られたもの
――それほどの覚悟を抱くグループでは、2026年1月に群馬県伊勢崎市から出発した100km駅伝を完走し、ゴール地点となる東京都渋谷区のライブハウス・CYCLONEでのステージも完遂しました。チャンチー:身体があまり強くないし、3人には迷惑をかけてしまうことも多かったんです。グループのメンバーは毎日、事務所に集まっているんですけど、それすらも自分だけ満足にできない日もあって。4人で何かを達成する意味は、人一倍大きかったと思います。駅伝の道中、約35km地点では足が動かなくなり、一時的にリタイアしてしまったので自信を失いかけました。でも、他の3人が私に合わせてくれて、NOMADS(ファンの愛称)のみなさんも応援のために駆けつけてくれたので「情けないと考えるのも失礼」と思ったし、100kmを4人全員で走りきったことで新たな自信を手に入れられました。
――気持ちも新たに、今どのような未来を描いていますか?
チャンチー:最近「無理にポジティブにならなくていい」と、気がついて。みんなで駅伝を完走したことで新たに「この10年で積み上げてきたものを1つひとつ、自信に繋げていきたい」とも、考えられるようになりました。過去の私のように病気を抱えている人たちに、アイドルを続けることで「やりたいことを『あきらめなければいけない』なんてない」と伝えていきたいし、前向きになってもらえるような活動をしていきたいです。
<取材・文/カネコシュウヘイ 撮影/鈴木大すけ>
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