人生100年時代。長すぎる老後の夫婦生活を悲観してか「熟年離婚」が増えているが、それはある日突然起きるわけではなく必ず“兆候”があるという。
離婚後の人生を落語家・ヨネスケ氏の体験談とともに探った。

ヨネスケ氏が熟年離婚後の10年を振り返る

『突撃!隣の晩ごはん』で一世を風靡したヨネスケが、66歳での...の画像はこちら >>
突如、熟年離婚を言い渡されたら、中年男性の人生はどう変わるのか? かつての苦い経験を明かしてくれたのは、昭和の名物コーナー『突撃!隣の晩ごはん』のリポーターとして一世風靡した落語家のヨネスケ(桂米助)氏だ。

「40年連れ添ったけど、最後は一瞬。些細な言い合いのなかで、僕が『だったら別れようじゃないの?』と言ったら、元妻は『あたぼうよ!』ってな具合でね。後日、離婚届が送られてきて『顔も合わせたくないのか』と。ずっと不満を溜めてたんだろうね」

ヨネスケ氏が熟年離婚したのは’15年3月。67歳の誕生日を迎える1か月前のことだった。その数か月後には娘の結婚式も控えていたという。

「原因が僕にあったのは間違いない。自宅は千葉にあったんだけど、離婚するまでの10年近く、僕は勉強部屋として用意していた新宿のマンションから仕事に出かけて、飲み歩いて、月に2、3回しか自宅に帰らない生活を続けていたんです。亭主元気で留守がいいだろうという感じで。自業自得だけど、娘とバージンロードを歩くはずだったのに、結婚式にも出られなかったのはツラかった。息子とは連絡は取り合うけど、元妻と娘はほぼ“それっきり”ですね」

「一番キツかったのはコロナ禍」

元気で留守がちな元亭主としての意地か、不動産を含めた大半の財産を妻に譲ったというヨネスケ氏。その後の独身生活はさみしいものに。


「一番キツかったのはコロナ禍。仕事がなくなり、飲みにも行けないから、朝起きたら、前日にコンビニで買っておいたご飯を食べて、やることがないから昼から自宅で飲み始める。不規則な生活で、睡眠導入剤をお酒と一緒に飲み込むような毎日。眠れないと一層孤独感が深まるんですよ。あるとき新宿二丁目のママに、『目が死んでるから一度病院行ってきなさい』って言われてね。行ったら軽度のうつ病と診断されました。自宅のベランダで『楽になりたい』と考え込んだ時期もあった」

「2年前に再婚するまで僕の人生は真っ暗だった」

そのどん底生活から救ってくれたのが、今の奥さんである陽子さんだ。20歳の年の差を乗り越え’24年に籍を入れた。

「人の紹介で出会ったんだけど、お酒好きで、僕以上に人と話すのが好きなので、素敵な女性だなと。二丁目のママたちからも、『あのコはいいわよ』とお墨付きをもらえてね。お付き合いを始めて、カミさんが暮らす横浜市戸塚区に引っ越したんだけど、ここがまた最高! 目の前には竹林が広がり、夏場は近くの川に蛍が出るほど自然が溢れている。農家さんの稲刈りを手伝ったり、地元の人とたき火を囲んだりしながら過ごすなかで、僕は生き返ったんです」

「何歳からでもやり直しは利く」

ヨネスケ氏は「何歳からでもやり直しは利く」とも話す。

「同じように孤独を味わう男性はいっぱいいると思うけど、元妻にほとんどの財産を譲ってしまい、介護保険料が引かれて手元に残る年金は2か月で6万円程度という僕よりはマシな境遇の人が多いはず。
腐らずに外に出て人に会う、住む場所を変えてみるなどの行動を起こせば、必ずいい出会いに恵まれるんじゃないかな。同じ過ちを繰り返さないという条件つきだけど(苦笑)」

数多くの温かい食卓に突撃取材しながら熟年離婚&高齢再婚を経験したヨネスケ氏の言葉を大いに参考にしたい!

【落語家 桂 米助(ヨネスケ・77歳)】
『突撃!隣の晩ごはん』のリポーターなどタレントしても活躍。’15年に熟年離婚するも、’24年に20歳下の陽子さんと再婚

※2026年3月10日号より

取材・文/週刊SPA!編集部

―[夫は見てはいけない 妻たちの[熟年離婚]計画]―
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