相場より安いのに、さらに値下げしてくれた
会社員の山田直樹さん(仮名・38歳)は2年前、転職を機に新しい部屋を探していた。不動産サイトで見つけたのは、駅から徒歩20分と遠いが、広くて賃料が相場より大幅に安いアパートだった。築年数は古いが、リノベーション済みで内装は綺麗だった。内見に行くと、大家である70代の男性が出迎えてくれた。「ここは静かでいいところですよ。困ったことがあったらなんでも相談してくださいね」と、物腰の柔らかい態度だったという。さらに「気に入ってくれたなら」と、格安の賃料をさらに2万円も値下げしてくれた。
「こんなにいい人に出会えるなんてラッキーだ」
山田さんは即決で契約書にサインした。しかし、それが悪夢の始まりだとは、その時は知る由もなかった。
退去立会い当日、大家が豹変した
実は山田さんには当時付き合っていた恋人がおり、基本的には彼女のマンションで同棲生活を送っていた。この部屋は書類上の住所と荷物置き場として借りたものだったため、月に2~3回帰る程度。2年後、無駄な出費を削るために部屋を引き払うことにした。ところが退去立会い当日、部屋にやってきた大家の表情を見て山田さんは違和感を覚えた。入居時の笑顔は消え、険しい顔つきで壁や天井を凝視し始めたのである。そして、壁の一箇所を指差してこう言い放った。
「これ、タバコを吸っていたのでは? 壁紙がこんな色になっている。これはヤニ汚れですよ。吸っていないとこんな色にはなりません。クロスは全面張り替えですね。クリーニング代も上乗せします」
そこには、入居時の好々爺の面影は微塵もなかったという。
証明する証拠が手元にないから…
山田さんが反論できなかったのには理由があった。まず、入居時の状況を写真に撮っていなかったこと。そして、「ほとんど住んでいなかった」という事実が、逆にアダとなった。大家は「住んでいないなら、なおさら変色しないはずでしょう。
大家の理屈に、山田さんは言葉が詰まった。経年劣化かもしれないが、それを証明する証拠は手元にない。契約書の細かい条項も、安さに目が眩んで読み飛ばしていた。
後日送られてきた請求書には、敷金を大きく上回る約30万円の原状回復費用が記載されていた。相談も頭をよぎったが、証拠がない以上、勝ち目があるか分からない。何より大家とのやり取りに精神的に疲弊していた山田さんは、支払いに同意した。
「あの笑顔は何だったのか。金が絡むと人はこうも変わるのかと、人間関係の裏表を痛感しました。あれからは賃貸契約に慎重になり、入居時には必ず写真を撮り、契約書は隅々まで読むようにしています」
相場より安すぎる物件には、必ず理由がある。そして、親切すぎる大家にも注意が必要だ。
<取材・文/maki>
【maki】
ライター・エッセイストとして活動中。趣味は人間観察と読書。取材からエッセイ、コラムまで幅広く執筆している
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