ベネズエラに敗れたWBCの侍ジャパン。しかしその結果以上に議論を呼んでいるのが、Netflixの独占配信による放送です。
地上波で観られなくなったことで、どのような問題が懸念されているのでしょうか?

国民的な盛り上がりには、地上波での無料放送が必須?

WBC「Netflix独占配信」が突きつけた現実。タッチ、長...の画像はこちら >>
 そこで出てきたキーワードが、「ユニバーサルアクセス権」です。これは国民的なスポーツイベントを幅広い層の人たちが公平に鑑賞できるように保障する権利のこと。古くはイギリスでの議論に端を発し、お隣の韓国でも放送法に記されているといいます。

 ところが、日本ではその準備段階にすらなく、そうした〝空白地帯〟にNetflixという巨人がやってきて、日本人の娯楽に課金した。これが今回のWBCの放送をめぐる不満に繋がっているのです。

 当初からNetflixによる配信には疑問の声があがっていました。球界のご意見番、広岡達郎氏は、「ネットなんとかの視聴方法がよくわからん」と怒りをあらわにし、本来野球を世界に広めるためだったWBCが商業主義に染まってしまったと、厳しく批判しました。

 コメンテーターの玉川徹氏も、ほとんど観なかったと明かし、ユニバーサルアクセス権を引き合いに出し、今後の日本でのWBC放送のあり方に懸念を表明していました。

 ネット上の声も、この両者の意見に近いものが大半です。国民的な盛り上がりとなっていくためには、地上波での無料放送は必要である、という声です。

 確かに、今大会の視聴者は試合の映像を観ていないのに、ニュースやワイドショーの出演者はハイテンションというチグハグはあったかもしれません。

 その意味でも、うまく噛み合わなかったのでしょう。

野球はいまでも「国民的な関心事」だと言い切れるのか

 しかし、一方で野球という競技が置かれている現実にも触れなければなりません。

 ずばり、野球はいまでも国民的な関心事だと言い切れるのでしょうか?

 そこで今大会でのNetflixのプロモーションを振り返りましょう。


 B’zの稲葉浩志がアニメ『タッチ』の主題歌を歌う。そして、ポスターには1995年と1996年に当時の長嶋茂雄巨人軍監督による「MAKE DRAMA」のコピーをそのまま使用していました。さらには、VTRのナレーションに、『タッチ』の朝倉南の声を担当した日髙のり子を起用。

 ここからあることに気付かないでしょうか?全て80年代から90年代のサブカルチャーだということです。つまり、40代より上の人たちに刺さる要素だけで今回のWBCのプロモーションは構成されているのです。

 Z世代はおろか、30代の人たちにとっても全くピンとこないでしょう。

野球はもはや“高齢者の娯楽”?

 このプロモーションが示すところは明確です。野球を観る層は限られている。もっと言うならば、高齢者限定の娯楽だという厳しい現実なのです。

 少子化にともない、野球の競技人口はピーク時の2000年の約600万人から、297万人にまで半減しているというデータもあります。今後もこの傾向に拍車がかかることは明らかです。

 野球ファンの数そのものは横ばいをキープしながらも、多くはかつて若者だった人たちがそのまま加齢している状態です。サッカーも同様の問題を抱えています。


 では、そのように加齢していく固定客によってようやく支えられているコンテンツは、すべての国民にとって等しく関心事だと言えるのでしょうか? そしてその公共性に正当性を与えることに、果たしてどれほどの根拠があると言えるでしょうか?

「Netflix独占配信」が突きつけた現実

 前回大会までの17年間、地上波の公共性によって放送されながらも、競技人口や新規ファン層を飛躍的に拡大させられていない現状を軽視すべきではありません。

 だとすれば、地上波だろうがNetflixだろうが、盛り上がる人たちの分母に大きな差は生じないと考えるのが自然なのだと思います。

 だからこそ、40代以上にターゲットを絞ったNetflixは正しいのです。もはや成長の余地がなくなったマーケットで効果的に利益をあげていくためのプロモーションを展開したからです。

 日本での野球は、一部の人たちにとっての最大関心事にすぎない。その冷徹な判断から、独占配信という解が導き出されたのです。

 ベネズエラ戦の敗戦以上に、日本球界が突き付けられた痛切な現実なのです。

文/石黒隆之

【石黒隆之】
音楽批評の他、スポーツ、エンタメ、政治について執筆。『新潮』『ユリイカ』等に音楽評論を寄稿。『Number』等でスポーツ取材の経験もあり。X: @TakayukiIshigu4
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