上司は決して「日本通」ではない。この夏、家族旅行で初めて日本を訪れる。ごく一般的なアメリカ人だが、握り飯が好きになり、昆布で出汁を取る。それぐらいアメリカでは和食がブームになっている。
これだけアメリカ社会に日本食が広がっているのなら、ニューヨークでは和食を食べるのに困らないと思われるかもしれない。しかし外食する場合、一般市民の感覚では、「和食店に行く」という選択肢はほとんどない。日本人が経営する和食店は、一部を除いて価格が高いからだ。
特に高いのはすしだ。日本人が握るすし店は「超高級店」が多い。予約時に前払いで1人500ドル(約8万円)ほどを支払って、結果的には1000ドル(約16万円)を超えることを覚悟しないといけない店すらある。
ニューヨークのマンハッタンは家賃がべらぼうに高いので、日本の外食産業が進出しても、メニューの価格を高く設定しないと経営が成り立たない。
「超高級店」のすし店の中には、外国人の若い資本家がスポンサーとなり日本のすし職人に店をまかせているところもある。折からの日本食ブームで、カネに糸目をつけない富裕層はニューヨークには山ほどいる。どんなに価格を高く設定しても客がいなくなることはない。
このため、すしをはじめとする和食店は「強気の価格設定」で富裕層だけを相手にするようになってしまった。日本人がかかわるアメリカの和食文化の華やかな部分はそういう構図になっている。
年間4000万個以上が「爆売れ」……スーパーで大人気のすし
アメリカのスーパーで、持ち帰りすしの売り上げが爆発的に伸びているのだ。「日系スーパー」の話ではない。アメリカ人向けのアメリカ資本のスーパーですしが飛ぶように売れている。
ニューヨーク・タイムズなどによると、スーパーでの持ち帰りすしの売り上げは’24年には前年比7%増の28億ドル(約4452億円)規模に達した。’20年以降、4年間で63%も増加したという。
ニューヨークのスーパーでは、店によっては入り口のすぐ近くにすし売り場がある。
円安なので日本円に換算すると高く感じるが、ニューヨークの物価を考えれば、かなりリーズナブルだ。
ブルックリンのユダヤ人街にあるユダヤ人向けスーパーにも、すしコーナーはある。ユダヤ教の中でも戒律の厳しい宗派に属するユダヤ人は食材の制限が多いが、すしは成分的にも問題がなく大人気となっている。
ウォール・ストリート・ジャーナルなどによると、持ち帰りすしをいち早く導入した大手スーパーのクローガー(本社:オハイオ州シンシナティ)では、年間4000万個以上のすしを販売している。アメリカのスーパー業界では、持ち帰りすしが集客の要になっている、というのが共通認識だ。
スーパーのすしが一気に広がったのは、新型コロナウイルスの感染拡大が大きなきっかけだった。多くのアメリカ人が外出を控え、自宅で食事をしたが、ピザやハンバーガー、タコスなどの定番メニューに飽きて、すしを自宅で食べるようになった。運動不足が気になってヘルシーな食品を探していた市民にはすしはぴったりだった。
ニューヨーク・タイムズが昨年9月に配信した記事では「インタビューに応じたすし職人、マーケティング担当者、研究者、卸売業者はみな、コロナのパンデミックがアメリカ人のすし需要を予想外の、そして驚異的な急増に導いたという点で一致している」と分析している。
アメリカの「すし」ブームを牽引するのはZ世代
コロナ後もスーパーのすしは一段と販売数を伸ばした。このブームをけん引しているのは若い世代だ。思春期のころなどにコロナを経験し、ソーシャルメディアで素早く情報交換する10代半ばから20代の「Z世代」は健康志向が強いとされる。脂ぎった肉よりもさっぱりした魚介類を好み、深夜に飲食することを嫌う。スーパーのすしは「Z世代」の心に刺さり、消費量はアメリカの平均的な世帯の2倍にのぼるという。専門家は「小売業者が若い消費者を獲得したいなら、すしは成長させるべき重要なカテゴリーだ」と指摘する。
日本人がほとんど知らない間に、すしは大衆化してアメリカ人社会に浸透している。トランプ関税やイラン攻撃などでアメリカの物価はさらに上昇しており、消費者も小売業者もスーパーのすしへの期待は高まるばかりで、アメリカのスーパーの担当者は「アメリカのすしは高級品からコンビニエンスなフードに変わりつつある」と話している。
江戸時代、すしは屋台でさっとつまんで小腹を満たす食べ物だった。海外で「超高級化」に走る日本人のすしより、アメリカのスーパーに並ぶすしの方が、よっぽどすしの伝統に近付いている。
【谷中太郎】
ニューヨークを拠点に活動するフリージャーナリスト。
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