誰もが疲れ果て、一刻も早く目的地へ着きたいと願う混雑した電車内。そんな余裕のない空間では、ちょっとした配慮が救いになる一方で、非常識なマナー違反が激しい衝突を招くことも少なくありません。

日本民営鉄道協会の最新調査「2025年度 迷惑行為ランキング」では、1位の「周囲に配慮せず咳やくしゃみをする(34.7%)」が前年の50.5%から減少する一方で、スマホの操作や荷物の持ち方への不満が上昇するなど、車内マナーへの関心は移り変わりを見せています。

生活のためにこの息苦しい満員電車に耐えなければならない……。そんな過酷な日常の中で、本来守るべき「妊婦さん」への攻撃や、見て見ぬふりが起きてしまうのはなぜなのでしょうか。

今回は、過去に大きな反響を呼んだ実録エピソードから、エスカレーターで妊婦に足を引っかけた女性や、優先席で「苦しい」と訴えながらも釈然としない動きを見せた男性の事例をお届けします。

【ケース①】「邪魔だったから!」と妊婦に足をひっかけてきた女性


電車で「邪魔だったから!」妊婦に“わざと”足をひっかけた女性...の画像はこちら >>
「妊娠をしていて、お腹が大きかった頃の話です」

 産休に入る前の米田香苗さん(仮名・30代)は、電車通勤をしており、いつも通り駅のエスカレーターを上ろうとしていたが、あからさまに肩にぶつかってくる若い女性がいたという。

「“感じ悪いな”と思いつつ電車に乗りました。そして、電車から降りようしたとき、転倒しかけたんです」

 電車の扉の前には、ぶつかってきた女性が立っており、米田さんの足にわざと自分の足をひっかけてきたのだ。米田さんは即座にお腹を守ったのだが、驚きと恐怖と不安が入り混じる複雑な感情を覚えた。

 あまりにも腹が立ち、そこそこの大きな声で、「何するんですか!」と叫んだ。すると、予想外の言葉が返ってきたという。

「邪魔だったから!」

 米田さんがその言葉に驚いていると、近くにいた中年の夫婦が助けてくれた。

「邪魔じゃないだろ! このお姉さんは妊婦じゃないか! ちょっと降りなさい」

 中年の夫婦は電車の扉が閉まるタイミングで、その女性を無理やり電車から降ろしてくれた。そして、駅のホームで話し合いをすることに……。


「仕事に遅刻することは間違いなかったので、私は会社に連絡をしました。その間も、中年の夫婦が対応をしてくれていて、『駅員を呼ぶ?』と聞かれましたが、そこまで大ごとにしたくなかったので、『大丈夫です』と伝えました」

 足をかけたことは、“わざと”だとわかっていたため、「なぜこんなことをしたのか」を女性に聞くと、先ほどの勢いはなく、かなり萎縮していたのだとか。

中絶を理由に起こした行動だったことが判明し…


「どうやらその若い女性は、彼氏の子どもを授かったものの中絶したばかりだったようです。エスカレーターで、カバンにつけていた“マタニティマーク”のストラップとお腹に目がいき、腹が立ったということでした」

 米田さんは、「少しかわいそう」と思った。とはいえ、到底納得できることではなかったため、謝罪してもらったそうだ。

「駅員さんにも警察にも言わず、助けてくれた中年夫婦にお礼を言い、会社に向かいました」

 お腹の中には大切な命がある分、米田さんとしては神経を尖らせた状態で日々を過ごしていた。そんな中でのトラブルに、「女性の行動は許されることではありません」と憤る。

「その後の妊婦検診で赤ちゃんの無事がわかりましたが、とても残念な出来事でした」

【ケース②】優先席を必要としている人に気づかないふり


 ある日の夕方6時過ぎ、帰宅ラッシュの時間帯に電車に乗っていた近田ゆりさん(仮名・20代)。

「その頃の私は、妊娠後期に入っていてもう少しで産休に入るところでした。なので、優先席に座っていたんです」

 お腹の張りが気になっていたため、できるだけ安静にしていたかったという。

「電車が駅に止まる度に乗客が増えて、少しずつ混雑していきました。そんな中、『苦しい……助けてください』という細い声が聞こえました」

 近田さんは顔を上げ車内を見渡した。すると、20代くらいの男性が、座席の前をゆっくり歩きながら訴えていたのだ。男性は野暮ったい服装に、気の弱そうな顔つきをしていた。


 立っている人の視線はスマートフォン。座っている人は目を閉じている状況だったそうだ。そして、その男性はふらふらと歩きながら、ついに優先席の前にきた。

「他の席にはサラリーマンたちが座っていました。見る限り健康そうな人で、妊婦の私だけが“優先席に座る理由がはっきりとわかる”感じだったんです。でも、誰も席を譲りませんでした」

 少し迷った近田さんだったが、その男性に「座りますか?」と声をかけた。

席を譲り、ずっと立ち続けることに…

「男性は、『ありがとうございます……』と小さく礼を言い、私の座っていた席に腰を下ろしました」

 近田さんは目の前の吊革につかまり、「しばらくの辛抱だ」と言い聞かせた。すると、男性が急に話しかけてきたという。

「そこで私は男性に、『どこで降りますか?』と聞きました。降車駅までまだ30分以上あるそうで、男性の体調を考えると、途中下車して休んだほうがいいんじゃないかと思ったんです」

 近田さんは「途中で降りて休んだほうがいいですよ」と伝えたのだが、男性は首を横に振り、「いや、大丈夫です。早く帰りたいんで……」と言い、そのまま目を閉じた。

「私はそれ以上は何も言えず、ずっと立ち続けていました。しばらくして男性が降りる駅に着いたので、『着きましたよ』と肩を軽くたたいたんです」

席を立った瞬間“スタスタ”と改札へ


電車で「邪魔だったから!」妊婦に“わざと”足をひっかけた女性の顛末「許されることではありません」…車内迷惑アンケートでわかった本音も
電車
 すると男性は目を開け、「ありがとう」と言いスッと立ち上がったという。そして、何事もなかったように、スタスタと改札のほうへ歩いていったそうだ。


 その動きは、先ほどまで「苦しい」と訴えていた人とは思えないほど足取りが軽かったようだ。

「そのとき、もしかして“男性は体調が悪いわけではなかったのではないか”と勘繰ってしまいました。ただ席に座りたかっただけなのかもしれないと……」

 しかし、近田さんが一番驚いたのは周囲の反応だった。

「車内にいた人は、誰一人として、男性を助けようとしませんでした。妊婦である私が席を譲るのを見ても、まるで他人事のようでした」

 近田さんは産休間近だったため、「妊婦だと一目でわかったはずだ」と振り返る。さらに、“マタニティマーク”もつけていたのだ。

「私は、ただただムカつきました。周りの人が見て見ぬフリをしたことに対して、憤りしかなかったですね」

 男性が降り、扉が閉まった後、近田さんは再び吊革をつかんだ。お腹の張りを感じながらも、ゆっくりと深呼吸をするしかなかったという。

 電車では個人のマナーが大いに問われる。だが、不快に感じても声をあげにくい空気があるのは事実だ。自分の何気ない行動が周囲の迷惑になっていないか、あらためて意識する必要があるだろう。


■ 数字が語る「マナー問題」と私たちができること

今回紹介したエピソードのように、一時の感情や身勝手な理由で、立場の弱い人を追い詰めてしまう。そんな車内の光景は、今の時代、決して他人事ではありません。

1. あらためて知っておきたい「マタニティマーク」の意味

厚生労働省が推進するマタニティマークは、外見からは判別しにくい妊娠初期の方も含め、周囲が思いやりを示しやすくするためのものです。

しかし、厚生労働省の検討会報告書や東京都の施策資料等でも、当事者から「マークを付けていると嫌がらせを受けた」「舌打ちをされた」といった声が課題として報告されています。本来、安心を与えるためのシンボルが、時にトラブルを招く不安要素になっているという悲しい実態があるのです。

2. 誰もが「誰かの優しさ」を必要とする場所

今回のエピソードで、妊婦に足を引っかけた女性が語った「中絶の痛み」。その悲しみ自体は否定されるべきではありませんが、それを赤の他人にぶつける行為は、結果的に自分自身の心をさらに深く傷つける「自業自得」な結末を招いてしまいました。

また、困っている人を前に「見て見ぬふり」をしてしまう空気も、私たちの心を殺伐とさせる要因の一つです。

「自分も疲れているから」「関わると面倒だから」……。そんな心の壁を、ほんの少しの想像力で取り払うことができれば、電車内はもっと呼吸のしやすい場所になるはずです。

すべてをルールで縛るのではなく、隣にいる誰かの背景を思いやる。そのささやかな優しさが巡り巡って、いつか自分が困った時の救いになる――。
今日もしっかりと足元を確かめ、誰もが安心して目的地まで辿り着けるような、温かい車内環境をみんなで育んでいきたいものです。

<TEXT/chimi86 再構成/日刊SPA!編集部>

―[乗り物で腹が立った話]―

【chimi86】
2016年よりライター活動を開始。出版社にて書籍コーディネーターなども経験。趣味は読書、ミュージカル、舞台鑑賞、スポーツ観戦、カフェ。
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