―[インタビュー連載『エッジな人々』]―

冬季パラリンピックを終えた今、パラスポーツへの視線は確実に変わりつつある。その中心にいるのが小田凱人だ。
戦績はもちろん、端正な顔立ちや派手なパフォーマンスでも観る者を圧倒する。「障害者」の固定観念を打ち壊す男の障害観とは――
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“障害者だからスゴい”は違う

「障害者」だから評価されるのは悔しい――。そう彼は言う。四大大会(全豪・全仏・ウィンブルドン・全米)すべてとパラリンピック金メダルを制する「生涯ゴールデンスラム」。テニス界でも限られた者しか到達できない偉業を、19歳で成し遂げた小田凱人。今回、インタビュアーを務めたのは、本誌執筆陣でもある(※1)乙武洋匡だ。取材が実現したきっかけは、数年前に乙武がSNSで送った一通のDMだった。

──小田さんとは今日が初めてだけど、「ようやく会えた」という気持ちです。5年ほど前に旧知の仲である(※2)国枝慎吾から「僕の比じゃないぐらいのバケモンが出てきたんで、マジで注目しといてください!」と言われていた。それであるとき、SNSのアカウントを見つけて僕からDMを送らせてもらって。

小田:乙武さんとはそのとき「いつかお目にかかってお話ししたいですね」とやり取りして、今回こうして実現できました。

――僕は20代の頃にスポーツライターをしていた時期があって、いわゆる「アスリートインタビュー」をしたい気持ちもある。だけど今回は、「障害」というものに対する小田さんなりの考えを聞いていきたい。


 小田さんは10歳で車いすテニスを始めて、14歳で世界ジュニアランキング史上最年少1位になった。その後、ゴールデンスラムを達成するまでの道のりは、本人としては「順当」という思いですか?

小田:思い描いていたことが一つひとつ実現している感覚はあります。ただ、今の日本で車いすテニスはまだ「競技」としては成立しておらず、「テニス」というスポーツの中の一ジャンルにすぎません。「車いすテニスの地位向上」とまで言うと大げさに聞こえるかもしれませんが、最終的には車いすテニスを独立したカテゴリーとして見せるところまで関わっていきたい。そういった意味では、まだまだ現状に満足はできていません。

「“障害者だから”評価されるのは悔しい」小田凱人が語る、パラスポーツへの“持ち上げられすぎ”な違和感
エッジな人々
――今の答えが聞けたので、今日一番聞きたかった質問をしたい。日本で障害者のアスリートはいまだ「格下」扱いだと思いますか?

小田:どちらかというと「持ち上げられすぎている」感覚です。アスリートは、勝負の世界で生きている人間です。仮に自分が社会から評価されているとして、その理由が「障害者だから」だとしたら、率直に悔しいです。

――その気持ちはよくわかる。僕は50年生きてきて「頑張ってください」と声をかけられることが300万回くらいあった。同じように小田さんに送られる「頑張って」は「障害者だから」なのか「アスリートだから」なのかが判別しづらいですね。


小田:最初の頃は「障害者」としての「頑張って」が多かったと思います。それでも最近では、純粋にアスリートとして見てもらえるようになってきました。

――車いすテニスを社会に広げていく方法は、いろいろあります。例えば’26年現在、車いすテニスの世界大会は障害がないと参加できないですよね。それを「車いすに乗る」という条件つきで健常者も参加できるようにすべきだという議論があったとして、小田さんは賛成ですか?

小田:スポーツを誰もができるものにしたいという気持ちは、もちろん持っています。でも、全面賛成の立場ではないです。

――というのは?

小田:誰でも大会に出られるようになると、今度はパラアスリートの希少性がなくなってしまうからです。パラリンピックをはじめ、世界大会に出場するのは、やはり「選ばれた人」だけであってほしいですね。

自尊心を取り戻す契機は、車いすテニスだった

――パラの大会出場に対する考えの違いには、もしかすると先天性障害者と、中途障害者という立場の違いが関わっているかもしれない。なので、ここからは小田さん自身のことも教えてください。小学生時代はサッカーに熱中していたそうで、きっと当時はクラスの中心的存在だったのかなと。それが9歳で「骨肉腫」(骨に発生する悪性腫瘍)を発症してから、転落していく感覚はありましたか?

小田:ありました。骨肉腫になった後で手術を受けて、どうにか回復はできました。
だけど学校に行くときは、髪の毛もなく帽子をかぶって杖をついている状態。リレーの選手だった運動会も見学だけでした。もともと持っていたサッカー選手の夢は諦めざるを得ませんでしたが、入院中に国枝慎吾さんの試合の動画を見たことがきっかけとなり、退院後は岐阜にあるテニスクラブに通い、車いすテニスにのめり込みました。学校外での活動があったからこそ、自尊心を取り戻せたんです。

「“障害者だから”評価されるのは悔しい」小田凱人が語る、パラスポーツへの“持ち上げられすぎ”な違和感
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――なるほど。僕自身は先天性の障害者なので、「スポーツで自尊心を取り戻した」という経験がない。パラスポーツを広げるにはまず競技人口を増やすことが大切で、世界大会を障害者に限る必要はないと思ってしまう。小田さんはどうですか?

小田:それで言うと、「車いすテニス選手が健常者のテニス選手に勝つ」といった形で、パラバージョンが普通の競技を超えるのが一番いいと感じます。健常者に「俺も義足だったらもっと跳べたかな」と思ってもらうのが、僕らが見せるべき姿かなと。

――(※3)マルクス・レームですね。何なら健常者に「俺も脚切りたい」くらい思わせたい(笑)。

小田:まず健常者のトップ選手と互角に戦えるようになって初めて、自分が語る言葉にも説得力が生まれると思っています。


――健常者のトップ選手との試合に勝てる可能性は、現時点でどれくらい見えていますか?

小田:ワンチャン勝てるかも(=可能性はある)という感じです。自分の実力だと、(※4)健常者の市民プレーヤーに勝てるレベルにはあると思っています。

――その言葉を聞いて今、鳥肌が立っている。

小田:車いすテニスではなくバスケだったら、障害者と健常者が同じコートでプレーするのは難しいかもしれません。でもテニスはバスケのような(※5)コンタクトスポーツではないので、同じコートで戦えるんです。

自分の存在を通じて、新しい色を出したい

――もう一つ、僕が小田さんを見ていて感じるのは、突き抜けたビジュアルとセンスの良さ。小田さんは服が好きと公言しているけど、例えばアパレルブランドをやることに興味はない?

小田:やりたいですね。ヒップホップをはじめ音楽も好きなので、社会に対して常に訴えかける存在でいたいとも思っています。そのためにも、車いすや杖を抜きに「普通にカッコいい」と評価してもらえるアスリートでありたいんです。

――それは小田さんが冒頭で言っていた、「車いすテニスの地位向上」とも関わりがある?

小田:そうですね。「ここまで行くとポルシェ買えるんだ」とか「自分でテニスコート造っちゃうんだ」とか、わかりやすい見せ方はあっていい。

「“障害者だから”評価されるのは悔しい」小田凱人が語る、パラスポーツへの“持ち上げられすぎ”な違和感
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――僕個人の意見ですが、小田さんには、何のてらいもなく高い服を着て、うまいもん食っている写真をインスタにバンバン上げてもらいたい。
それによって、ある種の「聖者」のような見られ方をはみ出していってほしいと思っています。

小田:ありがとうございます。今日のように自分自身がメディアに出ることで、車いすテニスを知るきっかけにしてほしいという思いもあります。何だかんだいって、車いすテニスという競技はマイナーだった。「小田凱人」という存在を通じて従来にはない色を出せたなら、自分がいなくなった後の世にも何かしら残せるかなと思っています。

――障害者運動の歴史を振り返ると、1970年代には障害者団体の支援者たちがステップのないバスに車いすの会員を運び込んで立ち去り、公共交通機関が障害者をいかに排除しているかを社会に対して突きつけるといった運動も起こっている。社会を変えてきた先人たちには感謝もあるけど、僕自身はあえて「手も足も出ません。手足ないけど」といった形でユーモアも交えつつ障害について語ってきた。小田さん自身は、「こんな路線でいきたい」というのはある?

小田:健常者は障害について聞いていいOKライン、NGラインがあると思っている方が多いですよね。そこは僕らから「全然NGないですよ」と言っていきたい。お互いがもっとフラットに接することができるといいなと思っています。

――「障害者」の固定観念を、僕とは違うやり方で変える人が出てきてくれるといいなとずっと思っていた。
中田英寿や本田圭佑は「サッカー」という枠を超えてその言動や存在自体がもはやカリスマだけど、小田さんも同じように、「車いすテニスプレーヤー」の枠を超えた存在になる可能性を秘めていると思っています。勝手ながら、バトンを渡せる相手がやっと見つかった気持ちになっている。今日話ができて、本当によかった。

【Tokito Oda】
’06年、愛知県生まれ。車いすテニスプレーヤー。9歳で骨肉腫を患い人工関節手術を経験。国枝慎吾に憧れて競技を始め、10代で世界四大大会とパラリンピックを制し、史上最年少で生涯ゴールデンスラムを達成。パラスポーツの新世代スターとして注目される

(※1)乙武洋匡
1976年生まれ。代表作『五体不満足』は、600万部を超すベストセラーに。日本のダイバーシティ分野におけるオピニオンリーダーとして活動する

(※2)国枝慎吾
車いすテニス史上初の「ゴールデンスラム(四大大会+オリンピックorパラリンピックを制覇)」を達成したレジェンドプレーヤー

(※3)マルクス・レーム
ドイツ出身のパラアスリート。走り幅跳びでパラリンピックをはじめ数多くのタイトルを獲得。健常者の走り幅跳び世界記録に肉薄し注目された

(※4)健常者の市民プレーヤーに勝てる
健常者は通常のテニスと同じ1バウンド以内、車いすプレーヤーは車いすテニスのルールである2バウンド以内に打ち返すルールで対戦する

(※5)コンタクトスポーツ
バスケ、サッカー、ラグビーなど体と体がぶつかり合うスポーツ。身体接触のないテニス、野球、バレーボール等はノンコンタクトスポーツと言う

取材・構成/中野慧 写真/アフロスポーツ

―[インタビュー連載『エッジな人々』]―

【中野慧】
編集者・ライター。1986年、神奈川県生まれ。一橋大学社会学部社会学科卒、同大学院社会学研究科修士課程中退。批評誌「PLANETS」編集部、株式会社LIG広報を経て独立。2025年3月に初の著書となる『文化系のための野球入門 「野球部はクソ」を解剖する』(光文社新書)を刊行。現在は「Tarzan」などで身体・文化に関する取材を行いつつ、企業PRにも携わる。クラブチームExodus Baseball Club代表。
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