―[貧困東大生・布施川天馬]―

 読解力、計算力、英語力……さまざまな「○○力」の中で、みなさんはどの力が一番重要だと思いますか?
 教育の重要性が叫ばれて久しいですが、その主張は発信者の立場によって大きく異なるようです。

 数学の先生は数学を、文筆家は国語を、教育投資に造詣が深い教育パパ・教育ママは早期英語の重要性を説いており、仮にこれらをすべて実行したならば、3歳から塾に入っても間に合わないほど。


 勉強は人生を豊かにしますが、勉強だけが人生を豊かにするものではないはず。

 そもそも「早期○○」のスタートダッシュで確保できる利益はたかが知れており、それだけで人生を一生逃げ切れるほどの役得が得られないように見えます。

 それにも関わらず、誰もが早期教育の重要性を叫んで回る狂った受験社会に我々は生きている。

 そんな教育に熱心な方々は、僅かな違和感も見逃しません。

 先日、ある小学校の先生がSNSで「『1/2と1/3ではどちらが大きいか?』と尋ねた後に、『1/2を1/3が上回る場合』を考える」という授業案を考案されました。

 これに猛反発のリプライがついたのです。

 そこで双方の主張を見てみると、どちらの言い分もよくわかる。同時に、ネット論客に足りないのは「相手の視点に立ってみる余裕」と「自らと相手の言葉を補おうとする言語化能力」であることが見えてきました。

 令和の炎上リスクを減らすために必要不可欠な「国語力」の重要性について検討します。

「1/2と1/3ではどちらが大きいか?」小学校教員の授業案が...の画像はこちら >>

授業が行われた意味を考える

 私の見解を先に述べるならば、「1/2を1/3が上回る場合を考える」のは、思考力を鍛える教育としては非常に優れているが、算数教育の頭に取り入れるならば、無駄に混乱させる可能性があるから悪手になり得る……といったところ。

 そもそも「1/2を1/3が上回る場合を考える」のは、悪いことではありません。

 これは「1/2」「1/3」を数として捉えるか、割合として捉えるかによりますが、仮に後者として捉えるならば、そのような状況はいくらでも思いつきます。

 例えば、「500mlのペットボトル」「1Lの牛乳パック」を考えましょう。


 単純に1/2と1/3を比べるなら1/2の方が大きいですが、「500mlペットボトルの1/2」と「1L牛乳パックの1/3」なら、明らかに後者の方が多いですよね。

 数には様々な性質がありますし、それらの数を誰がどのような目的で運用しているかどうかによって、それぞれの用いられ方や見方は変わってきます。

 日常生活における運用までを想定するような広範な理解を目的とするのであれば、数としてではなく割合としての理解も必要でしょうし、「割合は絶対数ではなく、元になる数によって大小が柔軟に変化しうる」とわかっておくべきです。

 そして、これをこのような言葉で伝えても、恐らく小学生には難しいでしょうから、実際に大きさの違う2つのモノを持ってきて、視覚的に理解させるのは有効な手段だとも考えられます。

批判する人たちは「余裕がない」

 一方で、この授業を批判した方々は、恐らく数としての性質を重視していらっしゃるのでしょう。

 それは、数以外の性質を知らなかったからではなく、言外に隠された意味をくみ取ろうとしなかったためのように見えます。

 確かに、もともとの投稿では「1/2と1/3では、どちらが大きいでしょう?」のみが記述されており、これだけでは問題が成り立ちません。

 ただ、これを投稿していらっしゃった方は「授業のテーマとして」と同投稿で補われており、分数を扱う授業を主催する立場にある方が、このような簡単な事実を見落としているとは、どうにも考えにくい。

 となれば「あぁ、これはもとになる数が異なれば、結果として出力される絶対量が異なることを教えたいのだな」と察しが付くはず。

 それにも関わらず、意図してか意図せずか、「1/2と1/3で1/3の方が大きいと教えるのはおかしい」と囲い込んで指摘する。

 あまりにも余裕がない態度のように見えます。

口を出す前に自分の国語力のなさを憂うべき

 やはり最大限好意的に解釈するならば、日本の算数教育に対して憂いを抱かれる善良な一市民による熱のこもった指摘だったのかもしれませんが、それにしては、大人数で数的な矛盾を指摘するにとどまり、その前提条件にまで目をやっていない視野の狭さには、逆に目を覆いたくなるほど。

 算数教育よりも自らの国語力の無さを憂うべきを、他者の表層的な運用不備をあげつらうに終始している様を見るのは、滑稽さと哀愁が同居するピエロのパントマイムのように見えてしまいます。


 そういえば、藤子・F・不二雄氏の『ウルトラ・スーパー・デラックスマン』に出てきた句楽兼人も似たようなキャラ付けでした。

 真面目で正義感が強いが、独善的に社会の悪を見定めるしかない視野の狭さで、周りの人間からは日常的に煙たがられてしまう……。

 周囲の人々が何か行動を起こすには、やはり何かの理由がある。

 他人の立場に立ってみて、相手の思考を想像して、なぜそのような発言、ふるまいをしたのかを、立ち止まって考えるべきです。

 受験中心に物事をとらえる人々は、やれ国語だ、やれ算数だとてんやわんやしていますが、本当に必要なのは、イラっと来た時に一息ついて落ち着く余裕と、相手の行動原理を読み解く観察力、相手と交信を試みるコミュニケーション能力なのかもしれません。

<文/布施川天馬>

―[貧困東大生・布施川天馬]―

【布施川天馬】
1997年生まれ。世帯年収300万円台の家庭に生まれながらも、効率的な勉強法を自ら編み出し、東大合格を果たす。著書に最小限のコストで最大の成果を出すためのノウハウを体系化した著書『東大式節約勉強法』、膨大な範囲と量の受験勉強をする中で気がついた「コスパを極限まで高める時間の使い方」を解説した『東大式時間術』がある。株式会社カルペ・ディエムにて、講師として、お金と時間をかけない「省エネ」スタイルの勉強法を学生たちに伝えている。MENSA会員。(Xアカウント:@Temma_Fusegawa)
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