長編映画プロデュース2作目となる『FUJIKO』は、4月にイタリアで開催された第28回ウディネ・ファーイースト映画祭にて2冠に輝き、いよいよ日本でも公開を迎えた。第一線をひた走る彼女だが、過去には収入が「10分の1になった」どん底の時期があった。そこから彼女は、どのようにして這い上がったのか。
「自分の母親の作品を作りたい」監督から伝えられたこと
——力強く歩いていくシングルマザーの姿を描いた『FUJIKO』は、MEGUMIさんが出演とともに、企画・プロデュースを務めた作品です。木村太一監督のお母さんがモデルと聞きましたが、どのような経緯でご一緒することになったのですか?MEGUMI:木村さんの前作に私が出演していまして、そこからすごく仲良くなったんです。ご飯をふたりで食べていた時に、太一さんから「次は自分の母親の作品を作りたい。プロデューサーとしてジョインしてほしい」と言っていただきました。
当時プロデューサーとしての経験はまだ浅かったんですけど、自分が企画するんだったら女性をエンパワーメントするというのは決めていました。自分のやりたいことと、太一さんの才能も知ってるし、明るい人となりも知っている。お母さんの映画だったら、これはすごくいいかもしれないということで、お受けしました。4年かかりましたけれど、ようやくこのような形になって感無量です。
4年越しの映画。監督との感情のぶつかり合い
——ユーモアも感じさせてくれる作品です。MEGUMI:誤解されることも多いんですけど、MeToo運動みたいな、「私の苦しみをわかって」みたいな、そっちは私は嫌なんです。「自分で自分の人生をクリエイトしていきましょう」というのが、私のエンパワーメントの形というか、言いたいことです。
MEGUMI:配給会社に断られたこともあり、他にもいろいろあって頓挫するかもしれないという時期もありました。映画は毎回チームが違いますし、「あの時はこれで良かったから」で進められないこともあります。ただ、自分が強くなってきているのは感じましたね。
——『零落』のときも、かなり大変だったとお話しされていました。
MEGUMI:もっと四苦八苦していました。今回は「なんとかなるでしょ」みたいな(笑)。あと太一さんとすごくいっぱい喧嘩しました。「私はこっちの方がいいと思う」「俺はこっちの方がいいと思う」って。
富士山のラストショットは「急遽追加」だった
——映画を観て、主人公の「富士子」という名前がとても印象に残りました。そしてラストに富士山のショットが映されたことで、最後に背中をもう一押しされた感覚になりました。MEGUMI:今作は海外にかなりリーチしたいという強い思いがありまして。日本人の女性の名前で外国の方に響くって、やっぱり富士山から「富士子」かなと。富士山のショットは、実は最初に海外の映画祭に行った時に「富士山、出てこないんですね」「絶対出なきゃダメだよ」とめちゃくちゃ言われて、慌てて急遽入れたんです。
——そうなんですね! 日本人の観客としても、大正解だと感じました。
MEGUMI:そうですね。入れてよかったと思います。
30代、収入が10分の1に…「起きた瞬間から不安だった」
MEGUMI:30代は子どもができたこともあって、急に“ママタレント”という方向になりかけていたんです。でも私は芝居をやりたいと思っていたので、絶対に嫌でした。でもそうなってくると、仕事がなくなり、お金もなくなったんです。
——精神的なキツさもありましたか?
MEGUMI:起きた瞬間から不安でした。「どうしよう、この先大丈夫かな」と。もともとネガティブ思考なところに、一個はまっちゃうと抜けられないタイプではあるんですよ。
「何もやらない方が怖かった」トレーニングを続けた日々
——そこからどう立て直していったのでしょうか。MEGUMI:「自分って何をやりたいんだっけ?」と改めて考えました。「やっぱり映画に出たい。映画に関わりたい」と。でも「じゃあ映画は観ているの?」と考えたら、あんまり観ていなかった。だから映画を観て、「この映画がどうだったかというのをちゃんと言葉にしましょう」と、ノートに書く。エンディングのシーンはこうだった、とか。観た映画を自分の言葉で解釈するトレーニングを始めたんです。
MEGUMI:「準備する」と決めたから。「必ず芽が出るはずだ」と思える日と、「いや、もうやばいかも」みたいな気持ちは行ったり来たりしていましたよ。でも不安になったら本とか読んで、「やるしかない!」と。体感としては不安なんですよ、やっぱり。結果はすぐに出ないし。ただ、何もやらない方がもっと怖かったというのが正直なところですね。
「直感を信じる」MEGUMI流の決断術
MEGUMI:誰しも直感で「やりたい」とか「違う」とか感じることがあると思うんです。ただその後に「でもな……」とか、「この人にはお世話になってるからな」といった迷いが出てくる。そういうのがあると大体失敗します。
影響を受けた人物は…
——しっかり自分の考え方を持っている印象のMEGUMIさんが、影響を受けた人物や言葉があれば教えてください。MEGUMI:建築家の安藤忠雄さんが私のヒーローなんです。安藤さんが「生涯青春」とおっしゃっていて。青春という捉え方は自分次第だと。70代になっても80代になっても「青いリンゴのまま青くいなさい」みたいなことをおっしゃっていただいたんです。それって本質的だなと。自分は50代だから60代だからといって、こういうふうにしなきゃいけないのかなみたいなことではなくて、先生のように80代になっても野心家でいるみたいな。そこまでにはなれないですけど、感覚は持っていたいなと思います。あとはジュリエット・ビノシュさん。
——国際的な女優さんですね。
MEGUMI:実際にお会いした時に「MEGUMI、人生はチャレンジだから、それ以外ない」みたいなことをおっしゃっていただきました。そして「この間も60代で初めて映画監督をやったし、次は舞台なのよ」なんて言っていて。そうやって実際にチャレンジをしてらっしゃる方々が何人かいらしたのですが、ジュリエット・ビノシュさんには実際に声までかけていただいた。「こんなかっこいいことある?」と思いました。
人生を切り開く原動力は“とにかく行動”
MEGUMI:富士子は行動する人。未熟がゆえに失敗することもあるけれど、やっぱり動く人。私の人生も、自分が掲げていることに対して「とにかく行動!」です。行動していくと誰かと出会って、そこからまた人生が開いていく。それを今まで生きてきて実感しています。40歳ぐらいを過ぎると、「できない理由」を探したりしてしまったりもしますけどね。
——できない理由を探してしまう。
MEGUMI:うなずく人もいると思います。「これは追い追い」とか「これってたしか誰かがやっていたから」とか。できない理由を探しちゃう。でも思いついたということは「できる」ってことだと思うんです。だから私はひたすら誰かとコンタクトを取って、会いに行く。海外にも行く。とにかく動く。
——すごいです。
MEGUMI:毎回、一瞬めんどくさいなと思ったりしますよ。「明日も早いし」とか「ここに出かけちゃうと、また始まっちゃうよな」とか。でも動かないと、やらないと、全ては流れていってしまうので。とにかく戸を叩いて、叩いて、叩く。答えが出ているわけじゃなくても、とにかく出て行って叩く。自分の人生は誰も与えてくれません。自分で盛り上げていくしかないんです。
<取材・文・写真/望月ふみ ヘアメイク/エノモトマサノリ スタイリスト/斉藤くみ>
【望月ふみ】
ケーブルテレビガイド誌の編集を経てフリーランスに。映画周辺のインタビュー取材を軸に、テレビドラマや芝居など、エンタメ系の記事を雑誌やWEBに執筆している。親類縁者で唯一の映画好きとして育った突然変異。X(旧Twitter):@mochi_fumi
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