今夏、長野大会で優勝した松商学園の松宗勝(まつむね・まさる)監督のインタビューが大きな話題になった。
マイクを向けられた松宗監督は、スタンドにいる野球部員に語りかけた。
「スタンドにいる3年生。6月30日のメンバー発表の日に、いろいろ心が揺れ動いたと思います。でも、その時に『チームのために何でもやります』と言ってくれた、その言葉......。連覇の要因は君たちです。これからも豊かな心で、明るい未来になることを信じられますし、そういった人が輝ける社会であってほしいと思います」
応援スタンドでスピーチを聞いていた3年生は、ひとり、またひとりと目頭を押さえ始めた。
松宗監督自身、松商学園で過ごした3年間はベンチ入りを果たせなかったという。グラウンドで戦えない者の思いを理解できる松宗監督だからこそ、ベンチ外メンバーへの感謝の思いがあふれたのだろう。
【松宗さんのあの言葉で報われた】
8月11日、松商学園は三重との甲子園初戦に臨んだ。試合前、松宗監督に「優勝監督インタビューの反響はどうですか?」と聞いてみた。すると、松宗監督から意外な「要望」が返ってきた。
「私の反響どうこうよりも、頑張っている3年生がもっともっと讃えられるようになってほしいと願っています。ぜひ、皆さんもそういう選手に声をかけていただきたいです。彼らがこれからの人生を前向きに歩んでいってくれるためにも」
松宗監督の言葉を受けて、私は試合前から一塁側のアルプススタンドへと向かった。
新井煌央(こお)はアルプススタンドの部員のなかで唯一、白いバッティンググラブを両手にはめていた。彼が握るのはバットではなく、太鼓のバチである。
「前まで軍手で握っていたんですけど、やっぱり使い慣れてグリップしやすいバッ手(バッティング手袋)のほうが使いやすいなと変えたんです」
新井はリズミカルに大太鼓を打ち鳴らし、応援のテンポを統率する。今春もベンチ入りを逃し、太鼓を担当したという。
「甲子園という場所で太鼓を叩かせてもらうのは、当たり前じゃないので。長野県の負けたチームの思いも背負って、ここにいるつもりです」
埼玉県出身の新井は、中学時代に大宮シニアでプレーした外野手だ。もともと松商学園にはさほど興味がなかったが、母が同校OGだった縁から練習見学に訪れた。
「松宗さんの人柄や、まとまりのあるチームを見て、『ここで野球がしたい』と思いました」
選手たちは松宗監督のことを、親しみをこめて「松宗さん」と呼ぶ。新井は「普通の監督じゃないです」と誇らしげに言った。
「松宗さんが野球部で一番のお手本になっています。環境整備やごみ拾いは誰より積極的にやるし、グラウンド整備はダッシュで行きますから」
そんな監督だからこそ、優勝監督インタビューでの言葉は沁みた。新井は噛み締めるように言った。
「メンバーから外れて本当に悔しくて、メンタル的にきついところもありました。でも、松宗さんのあの言葉で報われたような気がしました」
今も悔しさは残っている。それでも、新井は一心不乱にバチを叩く。日本一を目指すチームの一員という誇りがある。
「メンバーを外れたのは悔しいですけど、それ以上に松宗さんやこの選手たちと伝統ある高校で3年間を送れたことが幸せでした」
希望する進路を聞くと、新井は「全然決まってません」と笑いつつ、こんな夢を語った。
「将来は体育教師を目指しています。松宗さんのように、生徒に愛情を注げる先生になりたいです」
【ベンチ外の3年生が口にした覚悟】
実際にアルプススタンドに来てみてわかったことだが、応援団の中心となる一角は試合の様子が見えにくい。アルプススタンドと隣接する内野スタンドとの境目に通路があるため、ホームベース方向を見ようとすると二重のフェンスが視界を遮る。テレビカメラマンは絶えず目の前でレンズを向け、筆者のような記者たちも頻繁に出入りを繰り返す。
とても落ち着いて野球が見られる環境とは言えない。高校野球では、アルプススタンドは応援することに特化した空間なのだ。
「6回表の攻撃は、最初からチャンステーマを流して『チャンスになってほしい』という思いをグラウンドに届けたいと思います」
白川は長野県伊那市出身の外野手。小学生の頃から松商学園の野球部に憧れ、「ここでやりたい」と強い決意を持って入学している。
1年時からベンチ入りメンバーを争う立場にいながら、一度もベンチに入ることはできなかった。大会直前になると、いつも調子を落として競争に敗れていたのだ。
6月30日、夏の長野大会のメンバーが発表されたあと、3年生は全員が集まってミーティングを開いた。
最初は沈黙が続いた。メンバーに入った者も、外れた者も、気持ちを整理できなかった。少し時間が経つと、選手たちはぽつり、ぽつりと胸の内を吐露し始めた。
白川もまた、口を開いた。悔しい思いを率直に打ち明けた。そして、ベンチ入りメンバーに対して、こんな思いをぶつけた。
「松商学園として、チームとして、決めたことはやろう。
やがて、ベンチ入りメンバーは練習のためグラウンドへと向かった。ベンチ外の3年生は、気持ちの整理がついた者からグラウンドへ向かうことになった。
白川は、松宗監督ら指導者からかけられた言葉を反芻していた。
「3年生の姿で、夏の大会が決まる」
白川は「メンバーと同じ動きをしよう」とグラウンドへ駆け出した。気持ちが晴れたわけではない。それでも、日本一を目指すチームの一員として、戦わないわけにはいかなかった。
「自分が選ばれなかった悔しさはあります。でも、選ばれた20人は自分から見ても『大丈夫』とまかせられる選手たちです。自分は応援という立場ですけど、全員で戦うつもりです」
【母への電話が一番つらかった】
6月30日のミーティングは、グラウンドで戦うメンバーにとっても身の引き締まる出来事だった。主将の久保田悟は言う。
「悔しくて涙ぐむ選手もいたんですけど、『チームのために何でもする』『全員でやっていこう』という言葉をバックアップメンバーからもらって。メンバーにとって大きな原動力になりましたし、『必ず日本一になる』という強い気持ちになりました」
白川は応援に専念するなかで、今まで見えていなかったことに気づかされたという。
「スタンドで保護者やOB、地域の方々の声を聞く機会が増えて、『応援される』ってすごいことなんだなと実感しました。普段からおかしな行動を取っていたら、応援されるチームにはなりません。ベンチに入れなくて悔しくて、報われない思いもしましたけど、応援されることのすばらしさは忘れないようにしたいです」
白川は大学でも野球を継続する予定だという。将来の夢を聞くと、「悩んでるんですけど」と前置きをしつつ、こう続けた。
「誰かのために、やれる仕事をやりたいです」
アルプススタンドの「チャンステーマ」が選手たちの背中を押したのか、松商学園は試合終盤にじわじわと点差を詰めていった。
「応援に回ったからには、チーム全員で勝つことが大事なので。少しでも後押しできるような応援を心がけています」
あどけない表情でそう語ったのは、毛利浩也(ひろや)。松宗監督の優勝監督インタビューで涙を流す3年生部員の姿がテレビカメラで映し出されたが、毛利はそのひとりである。
「松宗さんは日頃からそういうことを言ってくれる監督ではあるんですけど、まさか決勝の舞台で言ってくれるとは思わなくて。感極まってしまいました」
毛利は遊撃手としてベンチ入りメンバーを争い、今大会は練習補助員として甲子園の土を踏んでいる。身長160センチの小兵で、「もう少し身長がほしいと思ったことは?」と質問すると、「本当にそれなんですよ」とおどけた。
大阪堺美原ボーイズの出身。
メンバーから外れて一番つらかったのは、母親に報告する時だったと毛利は明かす。
「今まで野球をやらせてもらって、寮まで入れてもらったのに、ベンチに入れなくて。自分はやりきったので、悔いはないんです。覚悟はできていましたし、気持ちを切り替えました。でも、親に電話するのはつらかったですね」
高校卒業後は大阪に帰り、大学でも野球を続けたいと考えている。そして、将来の夢について聞くと、毛利ははにかみながらこんな思いを語った。
「たまに思うのは、お父さんのように警察官の道もありかなと。警察官は格好いい仕事ですから。人のためになる仕事だし、尊敬します」
【今となってはメンバー外でよかった】
話を聞いた3人の3年生部員は、それぞれの境遇を歩み、それぞれの思いを抱えていた。それでも最後は「日本一」という旗印のもと、自分ができる役割をまっとうしていた。
最終回。松商学園は2点差まで迫る粘りを見せたが、最後は及ばず。3対5で敗れた。
試合後、アルプススタンドからの応援は届いたかと確認すると、松宗監督はしばらく黙考してから口を開いた。
「アルプススタンド、そして一塁側スタンドから背中を押してくれる大きな声援が聞こえてきました。私たちは応援されるチームを目指していますから、温かい声援をいただけて感謝です」
アルプススタンドの3年生に会ってきたことを報告すると、松宗監督はうれしそうな表情を見せた。3人が「将来は誰かのために働く仕事に就きたい」という思いを話してくれたことを伝えると、松宗監督はこんな葛藤を明かした。
「押しつけちゃっているのかな......という思いもあります。自分自身が『誰かのために』という人生だったので。それが本当にいいことなのか、わからないんですよね」
正解がないからこそ、人生は迷う。それは40代後半になった松宗監督にとっても例外ではないのだろう。
ベンチ外部員だった経験は、松宗監督の人生にどんな影響を与えているのか。そう尋ねると、松宗監督は言葉を選ぶように口を開いた。
「当時は、やっぱり試合に出たかったし、甲子園でプレーしたかった。誰もが思うことでしょうけど。でも、これは歳を重ねてから言えることですが、今となっては逆にメンバー外でよかったと思っています。ケガも浪人も経験して、人生の9割はうまくいってないことだらけです。でも、今は失敗やうまくいかなかった経験を生徒たちに伝えられます。だから、よかったと思っています」
18歳という年齢は人生の序盤戦に過ぎない。
人生を野球になぞらえれば、立ち上がりにエラーを犯したからといって、試合が終わるわけではない。むしろ、その後にどう対処できるかが大事になってくる。
そのことを知っているのは、決して松商学園の3年生だけではない。高校球児の多くは、野球を通して人生を学んでいる。
菊地高弘●文 text by Takahiro Kikuchi










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