山に暮らし、遊び、思索する――。時に含蓄あるセリフを吐いたかと思いきや、時に斜め上の言動でファンを驚かせる東出昌大。
今、何かと目が離せないこの男は文章でも人を惹きつける。9月に彼の山暮らしの日々を綴った24扁のエッセイ『誰が為にか書く~東京から離れた山暮らし日記』が刊行され、人間の生きる力とは何かを考えさせられる。そんな東出昌大のエッセイのなかから、同書籍未収録のエピソードを紹介しよう。
東出昌大いわく、都会と田舎の生活の大きな差のひとつが〝自力〟を発揮する機会の差だそう。稼げなくとも、金がなくとも、「自分の力」で幸せを手繰り寄せる能力も自力ともいえる。東出が考える自力とは何か? を紐解く。

(以下、東出昌大の寄稿)

山と都会の生活どっちが幸せということもないけど…

東出昌大が実感する都会と山暮らしの大きな差…都会の働くタイパ...の画像はこちら >>
仕事用で公開しているメールアドレスに、仕事とは関係のないメールがよく飛び込んでくる。その多くが「日常に疲れちゃって、山で暮らす東出さんところで一緒に生活をさせて下さい」といった内容で、見ず知らずの私に長文で思いの丈をお送りするくらいだから切羽詰まってるんだろうけど、私にも私の日常を送りたい欲求があるので「どうぞどうぞいらして下さい」と万人を受け入れる訳にはいかない。

だが、このように「田舎暮らしサイコー!」みたいなエッセイも書いちゃっている手前、何かお力になれればとも思う。日常を覆う閉塞感に風穴を開けられるきっかけになれればと。では私の生活と都市部での生活の差異はなんなのだろうと再考すると、やはり“自力”を発揮する機会の多寡なのだろうと思う。

金を稼げば、とりあえずコンビニ飯は買える。
食うには困らない。しかし、便利な上でちゃちゃっと摂取できるインスタントな食べ物は味自体が似たり寄ったりで美味しく無いし、便利=豊かであると自分に言い聞かせるように日常を送ったとて、もうその形骸化した信仰に飽き飽きしているのも分かる。

そしてこの物価高の影響で、レジでお金を払うときに毎回ちょっとずつ不安を覚える。先日、東京で仕事のついでにローソンで昼飯を買わねばならない機会があり、お惣菜コーナーで味付け卵2個が半分に切られてタレがかかった商品を手に取り、値段を見て喉の奥をウッと鳴らした。「360円」。卵2個で360円は無理過ぎる。商品をそっと棚に戻し、真空パックに入った小さめの味玉200円を買い物カゴに入れた。それだって高いけど。

有名大卒、ベンチャーで起業し、年収ウン千万のタイパ至上主義者は「自炊の時間働けば買えるようになる」と言うかも知れんが、平均所得くらいで都市部の高い家賃を払い、この夏はずっと暑かったから空調代にも心を痛め、「はたらけどはたらけどなおわがくらし  楽にならざりじっと手を見る」を地で行く人は、金も貯まらんし、年金も貰えないだろうし、土地付き一戸建てを買うなんて果てのない航路を目指さねばならないようで、金のかかると言われる子供を作ろうともなかなか思えないだろう。

ここで私の日常の話に戻る。私の生活では卵は自給出来ない。だからスーパーで買うが、いくら昨今の物価高があるとは言え、10個で250円くらい。
2個をゆで卵にし、タレをかけたとて70円くらい。290円のお釣りがくる。そして自炊は、繰り返せばどんどん美味くなる。私の生活では金をかけない代わりに手間のかかることをしているが「金がそんなに必要じゃない」という基本前提は将来を考える上で身体にまとわり付いたかなりの重量の鎖をドチャンッと下ろせる気持ちになる。

思い返せば、中学数学の連立方程式から先は、私にとってちんぷんかんぷんだった。あれらを頭に叩き込めなかった私は国立大や早慶を高みとする受験競争からは大きく離されたのだろう。このように競争は、優劣が生まれる。それは資本主義も同様。しかし、稼げない人間が不幸と決まった訳じゃない。

金以外の豊かさ。

“自力”で幸せを手繰り寄せれば良い。その自力のスタートが、自炊というのは暴論だろうか。


【東出昌大】
1988年、埼玉県生まれ。’04年「第19回メンズノンノ専属モデルオーディション」でグランプリを獲得。’12年、映画『桐島、部活やめるってよ』で役者デビュー。現在は北関東の山間部で狩猟生活をしながら役者業をしている。著書に『誰が為にか書く~東京から離れた山暮らし日記~』がある
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