1980年代から90年代にかけ、圧倒的な強さでプロ野球界を席捲した黄金期の西武ライオンズ。常勝軍団を類まれなリーダーシップで牽引したのが石毛宏典だ。

 引退後は日本初の独立リーグ「四国アイランドリーグ」の創設、70歳を迎えようとしている今は沖縄でのスポーツアカデミー設立など、新たな仕事に取り組んでいる。

 健康に対する意識や現役時代のエピソードを交えながら、今も精力的に動き続ける石毛の現在に迫った。

「食のこだわりは何一つない」と語る、石毛宏典(70歳)の食生...の画像はこちら >>

「てんや」や「すき家」が行きつけ

 取材の約束をした時間は午後2時。石毛はその直前まで別の仕事で動いていた。

「正午から午後1時半まで別件で打合せをしていたんです。その後こちらへ向かって移動してきて着いたのが午後1時45分。時間はあまりなかったのですが、昼飯を食べていなかったなと思って、『てんや』で急いで食べてきました。自分はいつも困った時はてんや(笑)。『すき家』もうまいんですけどね」

 今年で70歳を迎える今も、仕事のためなら時間を惜しまず動く。その直前に腹を満たしたのが、意外にも有名チェーン店だった。遠征試合の多い現役時代には、日本中のさまざまな土地で、数多くの食を経験してきたはずだ。食事に何か特別なこだわりはあるのだろうか。

「うまい、まずいはよく分かりますよ。
でも食のこだわりは何一つないんです」

 健康については、意外なほど無頓着だった。現役時代は広岡達朗監督の指導により、健康に良いとされるアルカリ性の体を保つことを意識していたが、それも長くは続かなかったという。

「一過性で終わりました。球団にいる時はそういった体を保つための料理が出てくるので食べていましたけどね」

8年ぶりの人間ドック、結果は?

 
 現役を引退してからも、特別に健康を意識した生活を送ってきたわけではない。

「晩酌で、ほぼ毎日お酒を飲んでいます。ビールと日本酒をちょっと飲むくらいなものですが」

 幸いにも今に至るまで大病を患うことはなかった。そんな石毛が、久しぶりに自身の身体と向き合うきっかけになったのが、人生をかけた新たな取り組みだ。沖縄でスポーツアカデミーを設立するため、近年は東京と沖縄を往復する日々を送っている。

「今後、沖縄での活動が本格化していった場合、何よりも健康な身体でいることが大事じゃないですか。ところが、8年くらい人間ドックを受けていなかったんです。妻からは『脳ドックに行かない?』と言われたりもしていましたし、いい機会だからと一通り受けたんです。どこも問題なかったんですけどね。

 沖縄へ行けば接待や付き合いでお酒を飲む機会も増えますし、特に健康に気を使っているわけではないのですが、内臓疾患などもなくて元気です。
目の衰えは感じていますが、気になるのはそれくらいです。丈夫な身体に生んでくれた親と、野菜が中心の料理を作ってくれている妻に感謝しています」

秋山幸二がセンターに。空いたサードに立候補

 大きなケガもほとんどなかった。

「あえてあげるなら、1985年の阪神との日本シリーズ第3戦で膝を故障したくらいです。ショートを守っていたのですが、打球を追っている時にレフトを守っていた金森栄治と衝突して膝の靭帯を痛めてしまったんです」

 責任感ゆえ、石毛はその後の試合も強行出場するも、無理をしたことが仇となり、守備範囲が広く足に負担がかかるショートを守ることが難しくなってしまったという。そして2年後、森祇晶監督からポジションについて相談を受けることになる。

 サードを守っていた秋山幸二が、自分の脚力を生かすために「センターを守りたい」と希望していた。森監督から「サードをどうしようか?」と聞かれた石毛は、自ら手を挙げた。

「『サードは俺が行きます』と言ったんです。誰かがサードの穴を埋めなければいけませんでしたし、膝の件もあったので、運動量が少ないサードがいいかなという思いもありました。自分が守っていたショートには田辺徳雄が入る方向で話がまとまりました」

 結果として秋山はセンターへ移り、石毛は“ホットコーナー”へ。そして、このポジション変更は、その後の西武の守備力を象徴するものになっていった。
センターの秋山幸二とキャッチャーの伊東勤は通算11回、ショートとサードを守った石毛が10回、ライトの平野謙が9回、セカンドの辻発彦が8回、ファーストの清原和博が5回のゴールデングラブ賞を獲得するなど、鉄壁の守備陣を形成した。

「福本豊さん(阪急ブレーブス)をはじめ、足があって守備範囲が広い外野手はそれまでも何人かいましたけど、西武では『秋山のセンター』というのが売りになっていきましたよね。その後、中日からトレードで強肩で俊足の謙ちゃん(平野謙の愛称)が加入してライトを守っていましたし、レフトは守備に定評がある吉竹春樹や笘篠誠治、安部理、大塚光二らが守り、外野守備がより一層鉄壁になってチームの強みになっていきました」

どう投げてもファーストの清原に届く

 石毛はサードでも鉄壁の守備を見せた。打球を捕ってから送球するまでの動作が全くブレない。バッティングでも同様、大きく形が崩れることがなかった。

「野球は技術のスポーツで、確かな技術の習得が大事であることは信念として持っていました。それと、広岡達朗監督時代に徹底的に守備を鍛えられましたし、スローイングに関しては全然不安がなかったんです。どう投げても、ボールは(ファーストを守っていた)清原和博のあの辺りに行くんだろうなと思っていましたから(笑)。

 反面、バッティングは難しかったですね。ピッチャーはバッターのタイミングをいかに外すかを考えて投げてくるので、やっぱり崩されてしまう時はあります。だいぶ神経を使っていました」

 力いっぱい振っているようには見えないが、それでも打球を飛ばす。相手の力を利用しているような、クセのないバッティングフォームだった。
それも、信念に基づいた鍛錬の賜物だろう。

 食に対しては「こだわりは何一つない」と笑い、健康についても「気にしたことがない」と話す一方で、野球の練習や仕事のためには時間を惜しまずに動く。石毛宏典という野球人を形作ってきたのは、何か特別なことを続けてきたからではないのかもしれない。

 必要な時に動く。自分の身体の状態を見極め、必要ならポジションのコンバートを直訴する。そして、自分が身につけた動作は、最後まで崩さない。70歳を迎えようとしている今も、揺るがない信念を胸に、石毛は動き続ける。

<TEXT/浜田哲男>

【浜田哲男】
千葉県出身。専修大学を卒業後、広告業界を経て起業。「ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)」の取材をはじめ、複数のスポーツ・エンタメ・ニュース系メディアで連載企画・編集・取材・執筆に携わる。X(旧Twitter):@buhinton
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