40歳で離婚した当時、財布の中にはわずか60円しかなかった。仕事探しに苦戦し、週7日、10種類のアルバイトを掛け持ちしながら糊口をしのいだ杉野美子さん(66歳)。

40歳で離婚、残金60円の極貧生活。10種のバイトを掛け持ち...の画像はこちら >>
50歳で教員免許を取得し、58歳で退職した後は世界一周の旅へ。彼女が人生のどん底から「第二の青春」をつかむまでの道のりを聞いた。

40歳で義理の両親と2世帯住宅に住むことになり、うつ病に

「40歳で離婚したとき、手元の財布には60円しかありませんでした」

社長令嬢として何不自由なく育った彼女は、国立大学を卒業し、大手IT企業に勤めた。25歳で大学時代から付き合っていた男性と結婚し、寿退社。2人の男児にも恵まれ、専業主婦として穏やかに暮らしていた。

しかし、38歳で夫の実家がある田舎へ引越し、40歳で義理の両親と同居が始まったころから、歯車が狂いだした。

「価値観がとにかく違って、何をしても受け入れてもらえない。お通夜に喪服を着て行っても『派手だ』と言われたり、PTAや子育て支援団体の手伝いをしたら『いつも家にいない』と噂されたり。『普通のお母さんはそんなことしない、お前はおかしい』と否定されっぱなしでした。違う国に来たつもりで、地域や家になじもうとしましたが、心が徐々に蝕まれていきました」

近所の人の話し声が自分への陰口に聞こえる幻聴を患い、うつ病を発症。当時9歳と6歳だった息子たちと「無理心中も考えた」と明かす。

「本当に心中しようとしたら、子どもがあまりに泣くので、できなくて……。お手伝いをしている子育て支援団体にも迷惑がかかるな、とも思って。
無理心中は諦めて、一人で死ぬことばかり考えていました」

ある日、妹と電話で話していたら、泣き崩れて気を失ってしまう。そんな姿を見かねた家族の助言もあり、離婚を決意したのだった。

国立大卒も25社連続で不採用、10種類のバイトを掛け持ちして…

「離婚してから、経済的には厳しかったです。ハローワークに行ったら、25社連続で不採用。ブランクはあるし、40歳だし、国立大学を出ていたことが仇になって『お茶くみなんて大卒に頼めないしね』と嫌味を言われました。『あと1社ダメなら履歴書を高卒に偽装しよう』と思っていたところ、26社目でやっと経理事務の仕事が決まりました」

ただし、額面で12万円、手取りで月10万円だったという。アパート代5万円を払うと、5万円しか手元に残らない。

「財布の中には60円しかなく、スーパーで63円の合い挽き肉が買えず、お店の前で立ち尽くしたこともあります。元夫からお米を分けてもらったり、友人から間引きした野菜をもらったりして食いつないでいました」

そして何より「暇があると、死ぬことばかり考えてしまう」という恐怖から、杉野さんは極限まで仕事を詰め込むことにした。

経理事務の他、レストランのホール、化粧品や石鹸の通信販売、NPOの子育て支援、高校の不登校サポートなど、週7日で10種類のアルバイトを掛け持ちする。稼ぎのいい仕事ばかりではなかったが「求められているということは、必要とされていること」と前向きに受け止めて「はいか、イエスか、喜んで!の3択しかなかった」という。

そんな中でも、小さな幸せを見つけることは忘れなかった。「月に一回、スーパーでお弁当を買うのが最大の贅沢でした。
死ぬ前に一度、スタバに行ってみたいな、と思いながら」と笑う。

ただ、必死で働き続けた代償は重く、過労により3回も倒れた。

50歳で小学校の教員免許を取る

「倒れてもすぐ働いていた。療養する余裕なんてなかった」という杉野さんに、転機が訪れる。NPO経由で小学校の発達障害児サポートの仕事に就いたことだった。

「知識もないまま現場に放り込まれ、泣きそうになりながら本屋で立ち読みして勉強しました。そんな私を見て、現場の先生が『教員免許を取ったら? 時給もいいし、そのほうが生活が安定するんじゃない』と勧めてくれたんです。『時間がない、お金がない、歳だから』と言い訳するのが嫌だったから、すぐに動きました」

11万円の学費を工面し、大学の通信教育課程に入学。毎朝4時から7時まで猛勉強を重ね、レポートを提出し続けた。

2011年3月、次男の高校卒業と同時に地元へ戻る準備を進めていた矢先、東日本大震災が発生した。6月地元にUターンして教育実習中に「明日死ぬかもしれない。新婚旅行のパリ以来、海外旅行はどこにも行っていない」という思いを抱いていたところ、父が他界する。

「地元で教育実習をしたら、校長先生からは『50歳? 資格が欲しいだけでしょ』担当の先生からは『俺は40歳で糖尿病で高血圧でつらいのに、その歳でできると思えない』と冷たくされてばかり。
でも、なんとか小学校の教員免許を取得しました」

遺産が入り、急遽、旅行会社に飛び込んで11月から33日間・7か国の世界一周旅行へ出かけたが、「旅行会社の作ったスケジュールをバタバタと巡るだけで、楽しかったかどうか……」と苦笑いする。

2012年4月、51歳にして新任として教壇に立つ。しかし、着任早々待ち受けていたのは過酷な現実だった。

本採用の試験に落ちて58歳で退職、世界一周旅行へ


40歳で離婚、残金60円の極貧生活。10種のバイトを掛け持ちした女性が、50代で世界一周するまで
小学校3年生の授業。激務だったが「子どもたちの笑顔に支えられた」
「最初の赴任先で、いきなり3年生の担任と学年主任を兼任することになりました。周囲の同僚はみんな年下で、高校の同級生はすでに教育委員会か校長。私の方が働いてるのに、講師だから待遇は悪いんです」

教員免許だけでは正規教諭になれない。杉野さんは単年度契約で非正規の常勤講師として働いた。

「60歳になったら退職金で、世界一周の旅に出たいと思っていました。週末はパソコンで旅行の情報やお得な航空券を調べて、ノートに書いて……。それを生きがいにしていました」

やがて、土日を使って自治体の教員採用試験(公務員試験)の勉強に打ち込み始める。学科試験は難なく突破し、予備校の面接対策でも「模範解答だ」と褒められるほどだったが、なぜか本採用の面接でことごとく落とされてしまう。

「バイトを10つ掛け持ちしていたとき、レストランで床のゴミを拾うために下ばかり向いていたんですが、ふと上を向いたら天窓があることに気づいたんです。『上を向いてがんばっていれば、なんとかなる』。
あのどん底の頃に学んだ言葉を唱えながら、試験を受け続けました」

ただ、3度目の不採用通知を受け取ったとき、心の中で何かが切れた。

「50代で正規採用すれば、数年で定年を迎えて、退職金も発生する。行政としてはコストの安い『講師』のまま使い続けるほうが都合が良いんですよね。そう気づいて、 目標にしていた60歳まで待つ必要もないなと」

40歳で離婚、残金60円の極貧生活。10種のバイトを掛け持ちした女性が、50代で世界一周するまで
はじめての世界一周旅行でインドのタージマハルに行ったときの写真。「当時は、国が変わると通貨が変わるということすら知らなかった」と話す
教員として働きながら、520万円の資金を貯めて、58歳で退職。念願だった、世界一周旅行へと旅立った。今度は33日間ではなく、約1年間だ。

「40代でどん底にいたときは『死ぬまでに一度スタバに行ってみたい』と思った私が、まさか世界中のスタバに行くことになるなんて思いもしませんでした」

60歳からが“第二の青春”

40歳で離婚、残金60円の極貧生活。10種のバイトを掛け持ちした女性が、50代で世界一周するまで
6回目の世界一周中に頭が割れそうなひどい頭痛に襲われ病院へ。そこから救急車に乗せられ大きな病院のICUに入院
帰国後は体験をまとめた本を出版し、全国で講演会を開催。66歳になった現在も世界中を旅行している。

「周りから『その歳で世界一周なんて、ばかか?』と言われても『そうだよ、ばかだもん』って笑い飛ばしています。AIみたいなお利口さんに聞いても、『やめておいた方がいいです』って言われるでしょうね。ばかと無謀さが人生を楽しくしてくれるのに」

40歳で離婚、残金60円の極貧生活。10種のバイトを掛け持ちした女性が、50代で世界一周するまで
66歳になった今、計7回の世界一周旅行を経験済み。「期間は1か月~1年、1ヵ月同じ国にいるときもあります」
40歳で離婚したのも「すべては今に繋がるために必要だった」と振り返る。

「結婚生活を続けていたら、海外はおろか旅行にすら行けていませんでした。
私にとっては60歳からが“第二の青春”。小さな幸せを花束のように集めていけば、何歳からでもやり直しはきくんです」

彼女は今後どんな旅路についているのだろうか。

<取材・文/綾部まと>

【綾部まと】
ライター、作家。主に金融や恋愛について執筆。メガバンク法人営業・経済メディアで働いた経験から、金融女子の観点で記事を寄稿。趣味はサウナ。X(旧Twitter):@yel_ranunculus、note:@happymother
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