◆スポーツ報知・記者コラム「両国発」

 「逆境こそチャンス」―。もう18年も前になる。

私は転勤で札幌に赴任した。夏の北海道に行ったことはあっても冬は初。こんなにも雪が降るのかと驚がくし、知り合いもいない土地で孤独感もあり、何度「帰りたい」と思ったことか。そんな中で出会ったのが、冒頭の言葉を伝えてくれた陸上女子100メートルの日本記録保持者、福島千里らを育て4月29日に亡くなった北海道ハイテクACの中村宏之元監督(享年79)だ。

 まだ雪が残る07年3月、北海道・恵庭市のハイテクACを訪れた。雪道を滑りながら歩く私を笑いながら迎え入れてくれた。積雪で屋外での活動期間が限られるため、陸上には不利と言われていたが、中村監督は「北海道から五輪選手を」の思いを胸に、定説に向かい合っていた。元三段跳びの選手。引退後、73年に恵庭北高に赴任し、厳しい練習環境の中、飽きさせずいかに効率的な練習をするか。いつも思案を重ねていた。

 バランス感覚を養うため物干しざおを持たせて走らせたり、体育館に畳を並べて幅跳びの練習をしたり…。医療用のリハビリ器具「レッドコード」やミニハードルなど、今でこそみな当たり前に使うが真っ先に取り入れたのが中村監督だった。

「ダメと言われたらやりたくなる。考え、工夫することで何かが生まれる。松末さん、今が変われる時かもしれないよ」と、持論を通して私を鼓舞してくれた。

 1月、5年ぶりに五輪担当に戻った。コロナ禍を経た取材現場は以前と様相が違っている。中村監督が伝えてくれたことを心の中でつぶやき、奮い立たせている。逆転の発想を持って今と向き合っていこうと思う。(五輪担当・松末 守司)

 ◆松末 守司(まつすえ・しゅうじ) 2020年入社。今年1月に五輪担当に。過去、冬季五輪3大会を取材。

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