東海大のロホマン・シュモン(4年)は、誰よりも強い思いを持って学生ラストシーズンに臨んでいる。2年時は箱根駅伝10区を担ったが、総合10位から11位に後退し、シード権(10位以内)を逃した。

3年時は箱根駅伝予選会のハーフマラソンでゴール手前約15メートルで熱中症のため途中棄権。チームは落選した。箱根路で試練が続くロホマンがインタビューに応じ2、3年時の苦難を冷静に振り返り、4年目の覚悟を熱く語った。(取材・構成=竹内 達朗)

 箱根駅伝はなぜ、これほどまでにロホマンに試練を与えるのか。24年1月の第100回大会。東海大の最終10区を担って10位でタスキを受けたが区間20位と苦戦し、大東大に逆転された。

 「その時の実力をほぼ出すことができましたが、その実力が足りませんでした」

 東海大は総合11位でシード権を逃し、第101回大会は10月の予選会から戦うことになった。ただ、その予選会でさらなる試練が待っていた。ハーフマラソンを一斉スタートし、上位10人の合計タイムで10枠の出場権を争う。レース当日は、夏日(気温25度以上)になる季節外れの暑さだった。ロホマンは熱中症に陥り、残り1キロで失速。残り150メートルで倒れた。

両膝をつきながらゴールを目指したが、残り15メートルで棄権。チームは14位で落選した。

 「14~15キロくらいから苦しくなった。残り1キロくらいから意識が朦朧(もうろう)として、その後の記憶はありません。あと10メートルか20メートル。何ではいつくばってでもゴールできなかったのか、と後悔しています。チームメート、特に4年生の先輩に申し訳ないです」

 東海大は12年連続の出場を逃した。失意の中、前主将の梶谷優斗(現住友電工)の言葉に救われたという。

 「梶谷さんに『ロホマンだけの責任ではない。チーム全体の責任だから。落ち込んでいても何も始まらない』と言われ、前を向くことができました。多くの人に励ましてもらいました」

 学生ラストシーズンは好スタートを切った。

4月5日、四大学対校戦1万メートルで優勝。5月の関東学生対校選手権は回避し、同24日の全日本大学駅伝関東選考会に万全で挑む。1万メートルで競い、8人の合計タイムの上位7校が本戦出場権を獲得する。箱根予選会と同じく重圧がかかる。

 「チームのために結果にこだわったレースをします」

 来春の卒業を区切りに競技の第一線を退くことを決断。練習と並行し、就職活動にも力を入れている。

 「入学当初は実業団で競技を続けることも考えていましたが、3年生になって総合的に考えて、競技は大学までと決めました」

 10月18日の箱根予選会。そして来年1月2、3日の第102回大会で有終の美を飾るつもりだ。

 「昨年の予選会で失敗した理由は故障で練習を積めなかったから。今年は故障をせずに夏合宿で走り込み、予選会にピークを合わせます。チーム目標は3位以内で通過。そのために個人50位以内を目指します。

最後の箱根でもう一度、10区を走ってリベンジしたい。このままでは終われません」

 ロホマンは試練を真っ向から受け止め、強い覚悟を持って走り続けている。

 ◆ロホマン・シュモン 2003年12月4日、神奈川・逗子市生まれ。21歳。逗子中3年時に全国都道府県対抗男子駅伝に神奈川県代表として出場し、2区(3キロ)25位。橘高3年時に5000メートルで県大会4位、南関東大会9位。22年に東海大体育学部生涯スポーツ学科入学。自己ベスト記録は5000メートル14分12秒45、1万メートル29分7秒48、ハーフマラソン1時間2分40秒。176センチ、66キロ。

 ◆東海大 神奈川・平塚市を練習拠点とし、73年に箱根駅伝に初出場。出雲駅伝は優勝4回(05~07、17年)、全日本大学駅伝は優勝2回(03、19年)。地元の箱根路では19年に悲願の初優勝を果たした。

その後、2位、5位と上位で戦ったが直近の4大会は11位、15位、11位、予選会敗退と苦しい戦いが続く。今年度は真価が問われる。前々回1区5位と好走した兵藤ジュダ、エースの花岡寿哉、主力の竹割真、鈴木天智ら地力がある選手が最上級生となり戦力は充実。「湘南の暴れん坊」は復活を期す。

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