俳優の柄本時生が24日放送の日本テレビ系「アナザースカイ」(土曜・午後11時)に出演。転機となった作品を明かす一幕があった。

 父・柄本明、母・角替和枝さん(故人)、兄・柄本佑という俳優一家で育った柄本は、14歳で演劇界入り。昨年、初めて連続ドラマのプロデュースを手がけた作品「錦糸町パラダイス~渋谷から1本~」について、思い出の地・北海道で本音を語った。

 企画、原案、プロデュースを務め、撮影にこぎつけるまで2年かけた労作だったが「情報解禁してから人生で初めてくらいエゴサ(エゴサーチ)しました。『大丈夫か? 大丈夫か?』って」とプロデューサーとして、どうしても話題にしたかったことを回顧。

 「コロナ禍になった時に『劇団年一』っていうのをつくったんですよ。僕と賀来賢人と岡田将生と落合モトキって4人で。20代の頃、4人で集まって、よく『こういう事やりたい』『ああいうことやりたいよな』なんて夢物語を語ってたのを1回でいいから実現させてみたいというのがフツフツと出てきて」と、その3人と「錦糸町パラダイス」を作り上げたことを明かした。

 「作品は監督ありき。圧倒的に監督がいないとダメっていうのがあって。出来上がったものの評価は実はあんまり興味ないんですよ、自分が。とにかく、その3人とか、監督や仲間、作品に関わってくれた人の思い出になるものになってほしいって。やってよかったとは言ってもらいたいとか。

すごくその思いが強かった。恥かかしちゃいけないから、とにかく」と思いを吐露。

 「めっちゃくちゃ辛かったけど、その辛さがその分、楽しかったっていう意味合いになるんですけど」と振り返ると「僕は一からものを作ったことがないからなって感覚があって。俳優部はゼロから1を作ったことがない人間たちなので、誰かが作っていただいた、脚本家が書いていただいた1を受け取ってやる。もう終わるまでのレールが出来上がってるんですよ。やっと一個だけですけど、そういうものを作ったことによって、なんかちょっと人間的に自信が付きました。結構、人生のターニングポイントとしてはすごかったです。あの作品をやれたってことは」と言い切っていた。

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