戦後の復興期に日本中を沸かせたプロレスラー、力道山の田中敬子夫人(83)が3日、肺炎のため都内の病院で死去した巨人の長嶋茂雄終身名誉監督=報知新聞社客員=を追悼した。
力道山は大相撲からプロレスラーへ転向し1954年2月19日に蔵前国技館での木村政彦と組んでシャープ兄弟と戦い街頭テレビの電波に乗って一躍、国民的スターとなった。
共に戦後復興、高度経済成長時代に国民に光を照らした。力道山は1963年12月15日に39歳の若さで急逝したが、敬子さんによると、長嶋さんと力道山はプラべートでも親交があり「主人が亡くなった後は、長嶋さんと何度もお会いしましたが『力道山さんには楽しませていただきました』とおっしゃって、主人に敬意を抱いていらっしゃっていることを感じました」としのんだ。
敬子さんは、2007年9月に64歳で亡くなった長嶋さんの妻の亜希子さんと共にマヤ文明の勉強会に参加するなど友人として交流していたという。「田園調布のご自宅にも何度もお伺いしました。思い出すのは、庭にレモンの木と野菜の畑がありまして、和風と洋風が一緒になっているなと思ってましたら、亜希子さんが『主人が野菜を作ってくれと言って、畑を作ったんです』とおっしゃっていたことです」と回想した。
長嶋さんの訃報に「主人は、長嶋さん、張本(勲)さん、王(貞治)さん、金田(正一)さん…野球選手はみんな好きでした」と思いをはせ「この国が昭和の大変な時に主人と同じように長嶋さんもみなさんを勇気づけてくれました。そういう先人の思いを今の若い方たちに少しでも知っていただいて、この国の将来のために頑張っていただきたいですね」と明かしていた。
(福留 崇広)