来季J1鹿島加入内定の明大MF林晴己(4年)がスポーツ報知のインタビューに応じた。浦和、横浜FMなどJ1複数クラブで争奪戦が繰り広げられた中、なぜ鹿島を選んだのか。
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大学サッカー界屈指のサイドアタッカーには、多くのJクラブが触手を伸ばした。最終的には浦和、横浜FM、鹿島の名門3クラブに絞られた。
3月に4日間ほど、鹿島の練習に参加した。刺激的な毎日を過ごした。
「オンとオフの切り替えがすごくて。ピッチの中では練習からバチバチ。そういう環境が自分は好きだなと。でもピッチ外では話しかけてくれて、いろいろな話をしてくれる先輩たちばかりでした」
鳥栖時代に鎌田大地(当時東山高)を見い出したことで知られる鹿島・牛島真諭スカウトの言葉も、林の心を鹿島にグッと近づけた。
「1試合を見て決めたわけではなく、何試合も見てオファーしたと言ってもらいました。タイトルから遠ざかっている中、力になってほしいと言われました」。
クラブハウスや選手寮なども見学。
「勝手に自分の中で『Jリーグと言ったら鹿島』って思っていました。サポーターの方も熱いし、鹿島への憧れがありました。大学サッカーで培ったものが1番出せるなとも思いました」
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山口・下松(くだまつ)市の出身。兄の影響で6歳からサッカーを始めた。小学校時代はサッカーとフットサルを両立。3年間の坊主生活に耐えられるかどうか、熟考を重ねた末に「まあ、仕方ないか」(林)と判断して名門・高川学園中へ。そのまま高川学園高に進学した。
3年時の全国選手権で10番を背負い、3得点。「トルメンタ」と呼ばれたトリックCKからゴールを決め、一躍時の人になった。
J2山口の練習にも参加したが「入れたとしても、活躍は厳しい。もっと成長してから」と判断。明治の門をたたくことを決めた。
177センチ、73キロ。明大関係者は「入学当時とは全然(体格が)違う。本人の努力」と証言する。小学校時代の恩師から「前から見て(筋肉が)すごいのは普通。後ろから見た時にたくましく見えなきゃ」とハッパをかけられ、背中を鍛えた。「腕を使ってプレーするタイプ。(成果が)生きているかなと思います」と胸(背中)を張る。
「強度やパワーの部分は伸びたと実感しているし、元々自信のあった技術も磨くことができています。サッカーしかやってこなかった自分にとって、学校生活の中で人間性の部分でも成長できたと思っています」
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特別指定選手として承認されており、今季から鹿島でプレーすることも可能だが、鹿島とも相談し、今季は明大を関東一、日本一に導くことに集中する方向でまとまっている。
「鹿島で戦うために、(練習参加で感じた)基準でトレーニングすることを常に意識しています。もっと鍛えないと、ですね」
試合前には、尾崎豊の「僕が僕であるために」を聴くという。小学校時代のチームの送迎車でよくかかっていた曲で「(気持ちを)上げるよりも、冷静に」という思いからだ。自分の現在地を冷静に見極めながら、プロデビューという「その時」を見据え、さらなる成長を志す。(取材・構成 岡島 智哉)