◆ストロングスタイルプロレス「ストロングスタイルプロレスVol.34 THE 20th ANNIVERSARY“―過激な仕掛人”新間寿追悼興行―」(12日、後楽園ホール)
初代タイガーマスクの佐山サトルが主宰する「ストロングスタイルプロレスは12日、後楽園ホールで4月21日に90歳で亡くなった団体会長を務める“過激な仕掛人”新間寿さんの追悼興行を開催した。
第4試合後の追悼セレモニーで新間さんの陽子夫人、孫の野尻栞理さん、初代タイガーマスクらがリングに上がった。
藤波辰爾ら大会に参加したレスラーらが参加したセレモニーには、新間さんが1984根4月に旗揚げしたユニバーサルプロレス(第一次UWF)に所属した前田日明、藤原喜明がサプライズ登場を果たした。
前田は、新日本プロレスで専務取締役営業本部長だった新間さんが1977年にプロレス入りをスカウトした。前田と佐山がリング上で顔を合わせるのは、2012年8月26日の「ドラディション」大阪・松下IMPホール大会以来、およそ13年ぶり。格闘王の来場は告知されておらず2人のリング上でのまさかの再会にファンは大歓声をあげた。
2人は、新間さんが1984年4月に旗揚げしたユニバーサルプロレス(第一次UWF)に所属した85年9月2日に大阪・高石市の臨海スポーツセンター大会で不穏試合を起こし、佐山はUWFを退団したもとを分かった。その後、雑誌での対談、リング上で顔を合わせることはあったが、確執は根深くこの10年あまりは一切、会うことはなかった。しかし、前田が4月29日に都内で営まれた新間さんの通夜に参列し佐山へあいさつ。闘病生活を続ける佐山へ医師を紹介するなど雪解けを果たしていた。
佐山はリング上で「前田君と1時間ぐらい電話で話をしました」と切り出し「新しいプロレスラーを育てようということになりました」と発表した。
佐山は今月3日の記者会見でプロレスラー養成所を作る計画を明かしていた。この日、リング上で前田が同調していたことを明かした形だが、セレモニー後の取材で佐山は「前田君がいいヒントをくれた。『自分の若いころのスピード感ある練習を佐山さん覚えてますか?』って言われて。それを思い出して昭和のプロレスみたいな実戦をもとにした俊敏なプロレスラーを育てよう」と明かした。前田は「時間をかけてちゃんとした…自分らのころは、メインイベントに出られるようなレスラーの体を作るには5年かかったんです」と切り出し「自分は18(歳)で入って、1年ぐらいの間で三点ブリッジで2人、3人乗せるが最低ラインでした。みんな打たれ強かったし、よもやの事故的な落ち方をしてもケガはしませんでした」と振り返った。
さらに「今のプロレスを見てると、そういう体ができてないにも関わらず自分たちの時代のレスラーのイメージで自分が受けれないことを相手に行って相手を壊すというのがほとんどだと思うんです」と明かし「時間をかけて選手をビシッとレスラーの体にしてリングに出す」と掲げた。佐山と前田が共同したレスラー育成計画か?と聞かれ「それができたら最高です」と前田は明かした。藤原は「俺は先がないんで、2人を見守るだけです」とほほ笑んだ。
新間さんの追悼でリング上で恩しゅうを超え和解した佐山と前田。