今年4月から明大を率いる大志田秀次新監督(63)がスポーツ報知の単独取材に応じ、古豪復活の道筋や再建への熱い思いを語った。箱根駅伝総合優勝7度を誇る名門だが、6位となった2020年を最後にシード権から遠ざかり、昨秋の第101回箱根駅伝予選会は12位で7年ぶりに本戦出場を逃した。

再出発した今季は箱根駅伝出場、シード権獲得が目標。東京国際大を新興校から常連校に育て上げた敏腕が、紫紺のタスキを完全復活へ導く。

 伝統校が、完全復活の道を歩き出した。切り札として招へいされた大志田監督は「明治大学は皆さんに愛されている、期待されているチーム。そのチームを引き受けた以上、優勝を目指さないといけない」と表情を引き締めた。明治大学創立150周年となる32年箱根駅伝で1949年以来、83年ぶりの優勝を目指す壮大な挑戦で「紫紺の襷(たすき)プロジェクト~Mの輝きを再び~」が本格始動。1季目は箱根駅伝で「シード権(10位以内)を取りたい」と定めている。

 明大は1920年の第1回箱根駅伝に出場した4校のうちの1校で「箱根オリジナル4」と呼ばれる古豪。ただ近年は苦戦続きで6位だった20年を最後にシード権から遠ざかる。東京国際大の礎を作った大志田監督は「4年間で花を咲かせることが大事」と当時確立した5つの柱「目標をつくる」「自分で決めたことをやり通す」「ライバルをつくる」「常に明るい雰囲気のチームにする」「手本となる人になる」を選手たちに浸透させ意識改革から着手した。

 寮の門限を午後10時に徹底するなど生活面でのルールの重要性も説き「私が変えるのではなくて、自分たちが変わらないと明治大学は変わらない」と“当たり前”のレベルを引き上げた。競技については、これまで月の平均走行距離が500~600キロの選手が多かった中、月に100キロ延ばすように指導。

「“100”という数字は大きいけれど、25日間の練習にすれば1日4キロ。積み重ねていく」とベースアップを図る。

 チームとしての初陣となった、5月24日の全日本大学駅伝関東地区予選会は10位で7位以内に与えられる本戦切符を逃した。ただ、「反省ではなくて、結果を受けてどう変えていくか」と真正面から受け止める。ここからの鍛錬が箱根駅伝の予選会(10月18日)へ最重要で「どう立ち上がっていくか。力はあります。これをどう発散してくれるかです」と夏の練習が駅伝シーズンへが大きな鍵を握る。

 今季の箱根駅伝予選会は順位よりも「出場権を取る」ことを最優先に2年ぶりの突破を視野に入れる。「強いチームともう一回同じ土俵で戦ってみたい。今までかなわなかったチームと競り合いたい」。確かな手腕を持つ大志田監督が率いる明大が迎える、勝負の1シーズン目。チーム一丸で紫紺のタスキの輝きを取り戻す。

(手島 莉子)

 ◆明大競走部 1907年創部。正式名称は「陸上競技部」ではなく「競走部」。1920年の第1回箱根駅伝に出場した4校のうちの1校で東京高等師範学校(現・筑波大)、早大、慶大とともに「箱根オリジナル4」と呼ばれる。49年の25回大会までに7回優勝もそれ以降、無冠。56年は部員が足りず、ラグビー部員が6人出場。当時の公式プログラムには実質的な監督としてラグビー部の北島忠治監督の名が記された。出雲駅伝は最高7位(2011、13年)。全日本大学駅伝は最高2位(14年)。タスキの色は紫紺。練習拠点は東京・世田谷区八幡山。

 ◆大志田 秀次(おおしだ・しゅうじ)1962年5月27日、岩手・盛岡市生まれ。63歳。

81年、盛岡工から中大に入学。箱根駅伝は3年1区11位、4年8区区間賞。85年に卒業し、ホンダ入社。86年アジア大会1500メートル金メダル。89年に現役引退。94~2002年にホンダコーチ。95~99年は中大コーチを兼任し、96年箱根駅伝優勝に貢献した。11年、東京国際大監督に就任。16年に箱根駅伝初出場、21年出雲駅伝優勝に導いた。東京国際大監督は23年に退任。退任後は、ホンダのエグゼクティブアドバイザーを経て、今年4月に明大監督に就いた。

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