元NHKでフリーアナウンサーの藤井康生さん(68)が初の著書「土俵の魅力と秘話」(東京ニュース通信社刊、税込み1760円)で大相撲への思いの丈をつづっている。入局6年目の1984年から約40年、中継放送を担当し、力士や親方らと交流するなど関わってきた。

歴史やしきたり、大相撲への提言も書き込んだ集大成とも言える一冊だ。(浦本 将樹)

 渋い声で語る大相撲のエピソードは1時間たっても止まらない。編集者が来て“制限時間”に。アナウンサーながら「本当は話すのが苦手なんですけどね」と頭をかく。

 人生初の著書。1年半ほど前にオファーを受け、相撲に関わって40年の節目を迎えたこともあり決心した。「書くことがこんなに大変だとは思わなかった。1か月間仕事を入れず、朝5時に起きて、食事以外はずっと書いている時期もあった」と振り返る。

 NHKに入って6年目から大相撲に携わり、福岡放送局勤務の時は九州場所を、名古屋放送局時代は名古屋場所に関わってきた。2022年に定年退職後も「ABEMA大相撲LIVE」で実況する。今作は相撲人生の集大成とも言える一冊。「この労力を使うのはもういいかな、と思いますけど、やはり形が残っているのはうれしいですよ」と本をさする。

 相撲を担当し始めた当初は、北の湖、隆の里、千代の富士が横綱でしのぎを削っていた時代。その後、小錦や曙のハワイ勢、若貴時代、朝青龍や白鵬のモンゴル隆盛期と時代の変遷を目の当たりにしてきた。今年5月に誕生した新横綱・大の里にも「最強の日本出身横綱」への期待を寄せる。

 実況していて最も印象に残る取組は、1991年春場所の(当時)貴花田・寺尾の一戦。突っ張りの応戦の後、貴花田が寺尾を破った。寺尾は花道の奥でさがり(まわし前に垂らす飾りひも)とタオルを床に叩きつけた。「18歳に得意の突っ張りで負けてしまった。普段は礼儀正しくて感情を出さない寺尾が、付き人も近づけないほど怒り狂っているのが背中で分かった」

 翌夏場所では寺尾が寄り倒しで貴花田を破った。「寺尾が珍しく四つ相撲でした。『今度は俺が相手の得意な体勢で勝ってやる』という意地があったんだと思います。その後、本人に聞いてもはっきりとは言わなかったですけどね」と人気力士の男気を回想する。

 相撲中継はNHKでも高視聴率を誇る番組。

入念な準備を怠らなかった。取組が決まってから、その日の注目点を記すメモの他に力士の個人情報と過去の取組成績が書かれた「力士カード」は狭い放送席で使うため、はがき大の重要アイテム。これまで書いたカードは1000枚を超える。

 82ある決まり手も全部頭に入っている。「日本相撲協会が発表してまだ一回も出たことがない決まり手が3つ。それは見たことがないですが、他は分かります。見え方や角度による解釈の違いはあっても、目の前で出た時にアナウンサーが即座に言うのがプロの仕事ですから」と、さらりと言う。

 毎日の生放送。ハプニングは付きものだ。30年近く前。解説席の大鵬親方が席に着くなり、普通の大人が2~3錠飲む風邪薬を「体が大きいから」と、瓶からバラバラと手に盛って口に放り込んだ。案の定、少したつと解説席からは大いびき。

慌ててマイクはオフ。「ディレクターからは『起こせ』とメモが来ますけど、当時まだ30代。『昭和の大横綱』は起こせませんよ」と回想する。

 自身はちょっとした言い間違い、現場に遅れて到着など細かいミスはあったものの、大過なくマイクの前に座り続けた。「僕が覚えていないだけかもしれませんけどね」。スポーツ中継では、まれに解説者につなぎを任せてトイレに行くアナウンサーはいるものの、自身に経験はない。「体にはよくないと思います」

 取材などを通じ、力士や親方たちとも付き合ってきた。大酒飲みの力士も多く、旭鷲山と食事した際、旭天山が持ってきた96度のウォッカをなめ、むせ返ったことも。

 「なるべく特定の方と飲んだり食べたりは避けようとはしてきました。でも酒を飲むと話がしやすいですよね。武蔵丸はビールを一晩で300本飲んだと言っていました。千代の富士は人に飲ませるのがうまい人でした。

今は飲まない力士も多いですよ」。自身もかつては酒は飲めなかったのが、今ではワインを楽しめるまでになった。

 現在はABEMA中継に加え、22年からはYouTubeチャンネル「藤井康生のうっちゃり大相撲」も開設。相撲との縁は続いている。「大相撲に関わることができる限りは、続けていきたいですね」と笑顔。写真撮影でもリクエストに応え、突っ張りを繰り出した。

 ◆黙る仕事で引き出した名言

 藤井さんは1996年7月、アトランタ五輪で女子マラソン銅メダルに輝いた有森裕子さん(58)から「自分で自分をほめたいと思います」との言葉を引き出したことでも知られる。

 「バルセロナの銀からメダルの色は変わったけれど、足底筋膜炎で走るどころか歩くこともできない状況から復活した」。取材ゾーンでマイクを持ち、少しやり取りを交わした後、藤井さんは少し待ったのだという。「言葉の終わり方が微妙だったのと、こみ上げる感じの内容だったので、私も涙声になるのが嫌で黙って待ちました」

 その次に出てきた冒頭の言葉は同年の流行語大賞・年間大賞にもなった。「もし次の質問をしていたら、話は違う方向に行ったでしょう。私はアナウンサーの仕事は『黙る』ことだと思っています。

引き出すのが仕事で、話し手ではない。さばき役ではあっても、いかに自分がしゃべらないか」と自身の哲学を明かした。

 ◆藤井 康生(ふじい・やすお)1957年1月7日、岡山県倉敷市出身。68歳。岡山朝日高、中大法学部卒業後、79年4月、NHK入局。北見(北海道)、京都、大阪、東京、福岡、東京、名古屋、東京の各放送局に勤務。アナウンサーとして43年間、主にスポーツを担当(大相撲、競馬、水泳など約30種目)。22年1月、NHKを定年退職、フリーアナウンサーに。同年3月「ABEMA大相撲LIVE」で実況担当。同年5月、大阪学院大特任教授に就任。

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