女優の秋野暢子(68)は、2022年にステージ3の頸(けい)部食道がんの重複がんが判明。化学治療などを経て、23年に寛解し、発病から5年後の完治を目指して日々生活している。
22年6月、「ステージ3の頸部食道がんの重複がん」と診断された。気落ちしたり、余生に恐怖を感じたりするのが普通の反応かもしれない。だが、秋野の心に浮かんだのは「原因が分かってホッとした」という安堵(あんど)だったという。
診断の半年ほど前から、喉仏あたりに違和感があった。「引っかかるのがあるなあという感じが最初で、なんだろうなと思って」。その1か月ほど前に受診していた人間ドックでは異常なし。「この引っかかりが、がんだって直結しなかったんです、頭の中で。よく眠れるし、物も食べられるし」と日常生活もこなせたため、大病を患った意識は全くなかった。
一方で、「知らないから(病気が)怖い。
「自律神経を整えないといけないなと、鍼(はり)や整体に行く」など、自分でできることを考え回復に努めたが、症状は変わらないどころか悪化。「固形物が(喉を)通りにくくなって、これはちょっとおかしいなと思って」再び内視鏡検査を行うと、がんが判明した。ようやく理由が分かったことで病気と向き合うことができ、“鬼退治”と自ら命名した闘病が始まった。
精密検査で分かった「重複がん」とは、複数の臓器が、がんに罹患(りかん)していること。その中には下咽頭がんも含まれた。腫瘍の一つは喉仏あたりに見つかり、4センチの大きさがあったという。
「声帯に近い部分だったらしくて、手術をすると声帯を取らないといけなかった。声帯を取ると声が出なくなっちゃうし、しゃべれなくなっちゃう」。寛解後に行われたイベントでは「セリフを語ったり、話したりすることが私の仕事。声をなくすというのは、私にとって死ぬのと同じことです」と振り返ったが、高校卒業後から女優業を続ける秋野にとって声は生命線。
化学治療では副作用に苦しむ患者も多いが、秋野は「薬が本当によく効いた」という。「全く合わない人もいるけど、私にはドンピシャに合って、副作用も全くなかった。全然苦しくないし、吐き気もなかった」と順調に回復。3か月半で退院し、23年4月には寛解。現在は3か月に1回の内視鏡検査、半年に1回のCT検査を受けており、足のしびれ、耳鳴りの後遺症はあるが、日常生活に支障をきたすほどではないという。
昨年9月に公開された映画「はじまりの日」(日比遊一監督)では女優業に復帰。がんを公表して以降、体調を心配してか演技のオファーが思うように来ない中で「書いておいてください。元気ですから、心配しないでください」と冗談交じりに話すほどにまで回復しているが、そこには2つの原動力があった。
一つは、昨年9月に誕生した初孫の女の子の存在だ。「孫の成長って、生きる励みになると同時に、逆に重しになることもある。でも、それが楽しいですよね」。
現在は娘家族と同居しており、夕食担当は秋野。離乳食は作らないため「孫はまだ私のご飯を食べていない」そうだが、来たる日を「まだまだ先ですけど、楽しみですね」と心待ちにしている。愛孫にはハワイ語で「おばあちゃん」を意味する「Tutu(チュチュ)」と呼んでもらうことを楽しみにしているという。
もう一つが50歳になったのを機に始めた絵画の制作活動だ。仕事や病気が理由で10年ほどブランクがあったが、23年に個展を始めることで再開。きっかけは、知人から声を掛けられたことだった。
「たまたま友人の息子さんが整骨院を出すことになって、『絵を飾りたいから一枚くれませんか?』と家に来たんです。その時に『せっかくだから(自宅に絵を)置いておくよりも、元気になられたんだから、皆さんに元気な姿を見せることも含めて、個展をやったらどうですか?』と言われました」。秋野の描きためた十数枚の絵を見た彼の一言に背中を押され、決心した。
作品は自宅のアトリエで一から手がける。
作品は会期中に全て販売。売り上げは「病を寛解するために医療従事者の方の力を頂戴したので、何かしらお返しできないかな?」と、がん治療に携わる医療従事者、今後のがん研究などのために寄付しているという。「病は降って湧いたように来ますけど、医学は日進月歩でどんどん発展しているので諦めないことが大事だと思います。希望を持つということですね。お医者さまの技術を信じて、二人三脚で希望を持って前に進んでいく。あとは病気を知ることです」と呼びかけた。
10・10から個展開催芸能人仲間参加 ○…「~色彩の希望3~秋野暢子と希望の輪展」と題された今年の個展は、10月10~19日に三重・伊勢市の「おかげ横丁 ART and CULTURE 山徳」、同25日~11月3日には東京・渋谷の「西武百貨店A館7階」で開催される。