タレント・せんだみつお(78)が6月3日に亡くなった長嶋茂雄さん(享年89)へ感謝の気持ちを明かした。1989年の初対面から36年間、長嶋さんとは数え切れないほど一緒にゴルフをして、長嶋さんの誕生日会でも毎年、司会を務めてきた。

「思い出のすべてがありがたい。僕の宝物です」と感謝した。(浦本 将樹)

 悲報から約3か月。「この前、長嶋さんとの知人同士で思い出話をしたけど、やっぱり目頭が熱くなっちゃってね…」。インタビュー中、終始テンションの高いせんだも、ふとした瞬間に真顔になる。

 最初の会話は1989年、ファイティング原田氏の全日本ボクシング協会(現・日本プロボクシング協会)会長就任パーティーでの席だった。長嶋さんと話し込んでいたニッポン放送アナウンサー・深澤弘さん(享年85)が紹介してくれた。長嶋さんから「せんださんはゴルフやりますか?」と聞かれ、言われるがままに紙切れに自宅の電話番号を書いて渡すと、スーツに手を入れ「イン・マイ・ポケット~」。せんだも「あ、本当に英語なんだ、とうれしくなった」と振り返る。

 すると、日を置かずに家の電話が鳴った。当時小学生だった長女・せんだるか(43)が取り「どちらの長嶋さんですか?」と聞くと、「巨人の長嶋です。巨人の、巨人のね」と何度も説明してくれたという。

 ゴルフ場でのミスターもエンターテイナーだった。最初に打つ順番を決める際、プレーヤーが円になり、誰かがティーを投げ、先端を指した人から打つことが多い。しかし長嶋さんが中心に投げたのは丸い100円玉。誰も指されることなく「どうするんですか、これ?」(せんだ)。結局、長嶋さんが最初に打った。

 オーラのある長嶋さんがOBを打つと誰も「OB」とは言えない。キャディーも黙り、不思議な空気に。すると自ら「ん、ファウルですね」と場を和ませる。また、せっかちな性格も垣間見えた。ラウンド後、風呂で一緒になると「左手で頭を洗いながら右手でひげをそっていた。すごいなって」と今でもその光景を思い出して笑う。

 常に明るく、他人の悪口をネタにしないせんだに、自身と似たようなものを感じたのか、長嶋さんとの交流は長く続いた。

2度目の巨人監督になる93年まで「月2~3回」はゴルフへ。呼び方も「せんださん」「せんちゃん」「せん公!」など日によって変わった。

 誕生日会も毎年司会を務めた。特別な言葉はかけられていないが、「そこそこ有名だし、しゃべれるし、いつもスケジュールが空いているから、せんださんはいい」と言われたことがうれしい。

 それだけに21年12月、長嶋さんの「文化勲章受章を祝う会」で司会を務めた後、せんだが車いすを押していた時に、かけられた言葉には感極まった。「せんださん! 司会ありがとう! 最高でしたよ!」。見送った後、せんだはトイレに入り、ひとり号泣したという。

 インタビュー後、写真撮影ではおなじみの「ナハナハ」の他に、長嶋さんの打撃、守備と懐かしい動きを繰り返した。「長嶋茂雄さんこそ永久に不滅です」と言うと、空を見上げた。

 ◆せんだみつお(本名・中野光雄=なかの・みつお)1947年7月29日、樺太(当時ソ連)生まれ。78歳。駒沢大中退後、服部栄養専門学校へ。

一時、ビリーバンバンに所属も脱退。69年、ラジオ「ワゴンでデート」でデビュー。72年、TBS系「ぎんざNOW!」の司会としてブレイク。

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