女優の吉行和子さんが2日未明、肺炎のため死去した。90歳だった。

所属事務所の「テアトル・ド・ポッシュ」が9日までに発表した。葬儀は故人の遺志により、近親者のみで執り行った。

 同事務所は「弊社所属の吉行和子が、9月2日未明、肺炎のため、永眠いたしました」と報告。「ここに謹んでお知らせ申し上げますとともに、吉行和子が生前受け賜りましたご厚誼(こうぎ)に深く御礼申し上げます」とつづった。

 1935年8月9日、東京都生まれ。父は詩人で作家の吉行エイスケ、母はNHK連続テレビ小説「あぐり」のモデルにもなった美容師の吉行あぐり、兄は作家の吉行淳之介、妹は作家で詩人の吉行理恵。淳之介と理恵はいずれも芥川賞を受賞した。

 幼少期から演劇が好きだった吉行さん。「劇団に入りたい」と思ったが、女優ではなく「裁縫が得意だから、衣装係なら」と思ったという。高校3年で劇団民藝の研究生募集を知り、合格。思いがけず女優候補として採用され、55年に初舞台を踏み、57年の舞台「アンネの日記」で初主演。これは病欠した女優の代役だった。

 63年、同じ劇団の照明係を担当していた秤谷(はかりや)和久さんと結婚。淳之介の仕事部屋と同じ市ケ谷駅前のビルに新居を構えた。4年ほどで離婚してからは生涯、独身で過ごした。親友の岸田今日子さん、富士真奈美と過ごす機会が多く、食事をしたり、旅行に行くのが趣味だった。

 42歳の時、周囲の猛反対を振り払い出演した映画「愛の亡霊」(大島渚監督)が転機になった。激しい性愛描写に挑んだ熱演ぶりは絶賛を浴び、代表作になった。後に「時々、何かに巡り合って息を吹き返し続けていく人生だったなあって。運が良くて、いろんな方に恵まれて幸せな人生だったなあって、つくづく思います」と振り返っていた。

 ◆吉行 和子(よしゆき・かずこ)1935年8月9日、東京都生まれ。中3時に憧れた劇団民藝に高校卒業後に入団。57年の舞台「アンネの日記」でデビュー。69年退団。

74年の舞台「蜜の味」で紀伊國屋演劇賞。79年映画「愛の亡霊」と、2014年「東京家族」で日本アカデミー賞優秀主演女優賞。84年には「どこまで演れば気がすむの」で日本エッセイストクラブ賞を受賞。父は作家・吉行エイスケさん。母はNHK連続テレビ小説「あぐり」のモデルとなった美容師・吉行あぐりさん。兄の淳之介さん、妹の理恵さんは、いずれも芥川賞作家。

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