◆JERA セ・リーグ 巨人―中日(30日・東京ドーム)

 巨人・田中将大投手(36)が日米通算200勝(日本122勝・米国78勝)を達成した。今季最終登板として中日戦に先発し、6回2失点で本拠地初白星となる今季3勝目。

プロ19年目で偉業に到達した。日米での達成は、野茂英雄黒田博樹、昨年のダルビッシュ有以来、日本人4人目となった。

 田中将は2006年の高校生ドラフトで4球団競合の末、楽天に入団。プロ初登板の07年3月29日ソフトバンク戦は1回2/3で6失点KOだった。「めった打ち食らって。その登板は一つ(キャリアで)大きかった。簡単に打たれて、盗塁もめちゃくちゃされた。『きれいに抑えようとして若々しさが足りない』と言われたりもした。全て打たれた」。このデビュー戦を糧にした。

 4月18日ソフトバンク戦で9回140球2失点、13奪三振で初勝利。「初登板の相手のホークスから勝てたのはすごいうれしかった」。

ルーキーイヤーからローテで起用され、28登板で11勝(7敗)をマークして新人王に。8月3日のソフトバンク戦では5失点しながら勝利投手となり、当時の野村克也監督から「マー君、神の子、不思議な子」と称された。

 11年に19勝を挙げて沢村賞を初受賞。13年には星野仙一監督の下、シーズン24勝0敗で楽天を球団史上初のリーグV、日本一へと導いた。

 14年から7年総額1億5500万ドル(約163億円)の超大型契約でヤンキースへ移籍。エースとして活躍し日本人投手初となる6年連続2ケタ勝利を成し遂げた。「17年の春先、シーズン序盤数か月は『本当にどうしたらいいんだ』ってぐらい全然結果が出なくて打たれまくった。それを機に、今まで考えてこなかった精神的な部分、物事の考え方、自分を変えるためいろいろやり始めた。新たなポイントだったと思う。一個一個の物ごとの考え方、処理の仕方、一番大きく、そこを学んだ」と大きな経験を積んだ。

 21年からは8シーズンぶりに楽天に復帰。4月24日の西武戦で6回1失点と好投し、日本復帰後初勝利を挙げて日本通算100勝。

東日本大震災から10年の年に特別なマウンドに戻り、「試合が終わった後、スタンドにたくさんの僕のタオルが見えた。すごく幸せなことですし、その景色を見ることができてすごく良かった」と語った。

 昨季は18年目で初めて0勝。再起をかけて今季から巨人のユニホームに袖を通した。小学生の時に同じクラス、バッテリーを組んでいた盟友・坂本勇人内野手とは再び共闘することに。「まさか少年野球を一緒にやっていたチームメートがお互いドラ1でプロに入って、まだ現役でいて。すごいなと思う」。2月の宮崎キャンプで久保康生巡回投手コーチから熱血指導を受け、体を縦回転で使うフォームに改造。開幕ローテ入りして4月3日の中日戦で移籍後初登板初勝利を挙げた。

坂本の2犠飛などで援護をもらい、5回5安打1失点で日米198勝目。586日ぶりの白星を手にした。

 だがそこから2登板連続でKOされ、5月から約3か月間の2軍調整。

自身の経験、感覚も頼りに一時はキャンプで取り組んでいた形とは異なるフォームで投げていたが「久保さんから、7月くらいに『このままじゃダメだよ。本当に変わらなきゃ同じままになるぞ』としっかり言っていただいて」。8月、1軍の先発陣に登録抹消が相次いだタイミングで再昇格した。力投を続けて1軍復帰から3登板目の同21日・ヤクルト戦で通算199勝目。王手をかけてから3連敗を喫したが、代打の切り札として活躍を見せている坂本の姿も刺激に「僕もやってやるぞ」と奮起して金字塔にたどり着いた。

 ◆田中 将大(たなか・まさひろ)1988年11月1日、兵庫県生まれ。36歳。駒大苫小牧で甲子園に3度出場し、2年夏に優勝、3年夏に準優勝。2006年高校生ドラフト1巡目で楽天に入団し、13年にプロ野球新記録の開幕24連勝。同年オフにポスティングシステムでヤンキースに移籍し、21年から楽天に復帰。日本での主なタイトル・表彰はMVP、沢村賞2度、最多勝2度など。188センチ、97キロ。

右投右打。

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