空手家・佐竹雅昭(60)が今年、格闘家人生45年を迎えた。1990年代に人気が沸騰した立ち技系格闘技イベント「K―1」を生み出した佐竹。

スポーツ報知は現在の格闘技人気につながる礎を築いた佐竹を取材。本人が回想する空手家人生を代表する「十番勝負」を連載する。四番勝負は、「K―1」ブランコ・シカティック戦(前編)。

 1993年4月30日、代々木第一体育館で「K―1グランプリ」が開催された。大会名「K―1」の由来は、キックボクシング、空手、カンフーなど、あらゆる立ち技系格闘技の頭文字「K」のナンバーワンを決める意味で自動車レースの最高峰「F1」を模して命名された。

 世界からヘビー級の強豪8人を招へいし一夜のトーナメントで優勝者を決める大会。主催は佐竹が所属していた「正道会館」だったが、実質的にイベントを主導したのはフジテレビだった。同局は、当時、格闘技の人気が急激に高まっていることを受け社内に「格闘技委員会」を発足させ「K―1」の実施を企画。ゴールデンウィーク中に局が総力を挙げて開催した「LIVE UFO」を代々木公園で行い、会場が代々木第一体育館に決まった。

 空手、柔道などの武道ではトーナメント戦は、日常だったが顔面への打撃がある格闘技でのトーナメントは当時、斬新で画期的だった。優勝までは1日3試合を勝ち抜かなければならない形式は、ダメージを考えるとファイターにとって大きなリスクがあると思う。しかし、佐竹はトーナメントを好意的に受け止めていた。

 「確かにダメージを考えるとリスクがありますが、空手で育ってきた自分にとってワンマッチよりもトーナメントが好きでした。それは、まず空手でトーナメントに慣れているということと、1日で一気に連戦するトーナメントって、そこに必ずドラマが生まれるんですよ。だからファイターとしてお客さんを引きつけるために余計なことを考えなくて済むんです。連戦の中でドラマが生まれるので、その流れに身を任せればいいという感じでトーナメントは好きでした」

 優勝賞金が10万ドル(約1100万円)だった記念すべき「K―1グランプリ」。言うまでもなく主役は佐竹だった。というよりも佐竹の存在がなければ、この大会はなかったと言って過言ではない。空手で地道に実績を積みドン中矢ニールセン戦でのKO勝利で時代の寵児にとなり、ウィリー・ウイリアムス戦、前田日明の「リングス」での闘いで結果を出し人気を高め、さらにリング外では、テレビ、ラジオ、雑誌などで積極的に活動し格闘技界以外でも知名度を上げた佐竹がいたからこそ興行的な成功をフジテレビは確信しゴーサインを出した。

 参戦した選手は以下の通りだった。

 佐竹雅昭(日本・空手)

 後川聡之(日本・空手)

 チャンプア・ゲッソンリット(タイ・ムエタイ)

 ピーター・アーツ(オランダ・キックボクシング)

 アーネスト・ホースト(オランダ・キックボクシング)

 ブランコ・シカティック(クロアチア・キックボクシング)

 モーリス・スミス(米国・キックボクシング)

 トッド・”ハリウット”・ヘイズ(米国・ボクシング)

 超満員の代々木第一。佐竹は1回戦でヘイズと対戦した。

(続く。取材・書き手 福留 崇広)

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