空手家・佐竹雅昭(60)が今年、格闘家人生45年を迎えた。その実力と人気で1990年代に人気が沸騰した立ち技系格闘技イベント「K―1」を生み出したレジェンド。
94年4月30日、佐竹は代々木第一体育館で開催された「第2回K―1グランプリ」に出場した。前章でも詳述したが、大会前の3月4日に日本武道館での「K―1 CHALLENGE」でアーネスト・ホーストに2回KOで敗れてからわずか57日後の試合だった。参加選手は以下の通りだった。
ブランコ・シカティック(クロアチア・キックボクシング)
アンディ・フグ(スイス・空手)
アンドレ・マナート(オランダ・キックボクシング)
佐竹雅昭(日本・空手)
パトリック・スミス(米国・総合格闘技)
ピーター・アーツ(オランダ・キックボクシング)
マイケル・トンプソン(英国・空手)
ロブ・ファン・エスドンク(オランダ・キックボクシング)
佐竹は、1回戦でトンプソンと対戦し3回TKOで突破した。迎えた準決勝。対戦相手は、前年に同じ4強で敗れた前年覇者のシカティックだった。「金づちで殴られたような」衝撃的な痛さを持つシカティックの鉄の拳を徹底的に防御し緊迫の打ち合いを2―0の判定で制した。
「ブランコのパンチのすごさは分かっていたので、徹底的にパンチを防ぐことを考えていました。あごを引いて、額でパンチを受けました。
決勝戦。対戦相手は、オランダの怪童と呼ばれた23歳のピーター・アーツだった。身長192センチの巨体から放つ右ハイキックは一撃必殺。パワーとテクニックを兼ね備えたファイターに真っ向から勝負を挑んだ。作戦はヒザ蹴りの防御だった。
「アーツとは、この試合の2年前に初めて対戦したんですが、このときにヒザ蹴りをもらってあばらが折れたんです。同じ目には遭わないようヒザだけは食らわないように防御を考えました」
佐竹はアーツと92年10月4日、大阪府立体育会館での「格闘技オリンピック」で対戦。結果は、5回ドローだったがヒザ蹴りであばら骨を骨折するダメージを負っていた。ヒザを警戒しながら距離を取って必殺のローキックでアーツの牙城を崩そうと攻めたが、結果は3―0の判定で敗れた。佐竹は準優勝に終わった。これは、2003年に武蔵が同じ準Vを達成するまで日本人戦士では最高の成績だった。
「準決勝でブランコに勝って、息つく間もなくアーツと連戦です。今、思うと我ながらこんな世界の怪獣みたいなヤツらとよく闘ったと思います。この準優勝が僕のK―1でのピークでした。決勝戦は、僕もアーツもお互いにギリギリの試合でした。アーツはパンチも蹴りも強烈でめちゃくちゃ強かったんですが、僕も彼を追い詰めることができたと思います。あの時のK―1って世界中の化け物、怪獣たちとの闘いだった。あんな時代は、その後の格闘技界ではなかったと思います。本当に命を削って闘っていました」
佐竹の準優勝でK―1は、さらに興行的な成功を収めていく。そして佐竹の身体に異常が生じた。
(続く。敬称略。取材・書き手 福留 崇広)