歌舞伎俳優の片岡仁左衛門が文化勲章を受章することになり、17日に都内で記者会見を行った。

 名優の条件とされる「顔よし、声よし、姿よし」を体現する仁左衛門が、歌舞伎俳優で11人目の文化勲章を受章した。

電話で吉報を受け、仏壇に手を合わせて先祖に報告したという。

 謙虚な姿勢で喜びをかみ締めた。「ありがたいこと。子孫への置き土産。そのような気持ちですね。こういう(歌舞伎俳優の)家に生まれて、しかも自分が好きで、やらせていただいていることで、こんなに大きな評価をいただいて、幸せだなという実感ですね」としみじみと語り、「文化勲章の質を落とさないように、なお一層、精進していきたい」と気を引き締めた。

 時代物から世話物まで多くの当たり役を持つ。印象深い役を聞かれると、1964年に初役で挑んだ「女殺油地獄」の河内屋与兵衛と、戸板倒しや仏倒れなどのダイナミックな立ち回りが印象的な「源平布引滝 義賢最期」の木曽先生義賢を挙げた。「『油地獄』は出世作で、ある意味、私のスタート。『義賢最期』は華奢な私が(時代物の)線の太い役をやるようになる転機の役」と思いを込めた。

 13代目仁左衛門の三男で、50代まで本名の片岡孝夫として舞台に立っていた。坂東玉三郎との「孝玉コンビ」で大ブームを起こし、98年に大名跡「片岡仁左衛門」を15代目として襲名。

襲名披露の前には膿胸、大葉性肺炎、食道亀裂などで入院し、命の危険さえ心配されながらも「私が(大名跡を)継ぐべき人間だったら、命が助かるだろう」と自分自身を鼓舞して見事に復帰を果たした。

 約400年の歴史を持ち、現代人にも愛される歌舞伎の魅力について「人間の心は変わらない。それが脈々と伝えられているということ」と説明。後輩たちへのメッセージを求められると「先輩に言われたことをやるだけでなく、その先を考えることが大事。私は今でも新たな発見がある。これでいいと思ってはいけない。その上を目指さないといけない」と役者としての心意気を明かした。(有野 博幸)

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