◆報知新聞社後援 第102回東京箱根間往復大学駅伝競走(箱根駅伝)予選会(18日、東京・立川市陸上自衛隊立川駐屯地内周回コース=21・0975キロ)
前回の予選会で17位敗退の麗沢大は、10人の合計タイムが10時間50分42秒。トータル21位で本戦出場を逃した。
今季から就任した池谷(いけがや)寛之監督(50)のもと、新たなスタートを切ったが、今回も悲願の初出場はならなかった。
予選会には42校が出場し、各校の上位10人の合計タイムで競い、10位以内の大学が箱根駅伝(来年1月2、3日)の出場権を獲得。前回優勝の青学大はじめシード10校、予選会通過10校とオープン参加の関東学生連合の計21チームが新春の箱根路に臨む。
「箱根への道」は険しく、厳しい。麗沢大の挑戦は、今回も敗れた。今季から指揮を執る池谷監督、主将の神之田大翼(かみのた・つばさ、4年)らは厳しい表情で結果を受け入れた。
2018年、19年は2年連続で次点に泣いた。
最初のチャンスにして、最初の試練は2018年の予選会だった。第95回記念大会だったため、出場枠は通常より1増の11枠。11位の上武大と1分50秒差の12位だった。その1年前の17年は、チーム最高(当時)の15位となり、選手は大喜びした。18年はチーム最高成績を更新したが、選手は悔し涙を流した。
満を持して挑んだ翌19年の予選会。さらにチーム最高記録を更新し、11位となったが、この年の出場枠は通年通りの10校。2年連続で次点に泣いた。しかも、10位で通過した中大とは、わずか26秒差。歴代6位タイ(当時)の僅差だった。ひとり平均2・6秒、距離にして約15メートル。ただ、その15メートルが遠かった。
悲願の箱根駅伝初出場に向けて、今季、チームは新たなスタートを切った。山川達也監督(現芝浦工大コーチ)が退任し、新たに大東大OBの池谷監督を招へいした。
池谷監督は、大東大時代に3度箱根駅伝に出場し、ホンダ時代には5000メートルで日本歴代7位(当時)の13分25秒72をマークするなどトップランナーとして活躍した。山川前監督は実業団選手としての経験はなく、高校の教員を経て10年に麗沢大コーチに就任。
ただ、このまま終わるつもりはない。はるかなる箱根を目指す麗沢大の挑戦は続く。
◆池谷 寛之(いけがや・ひろゆき)1975年4月29日、静岡・焼津市生まれ。50歳。94年、焼津中央高から大東大に入学。箱根駅伝では2年4区3位、3年4区3位、4年2区11位。98年に卒業し、実業団のホンダ、日清食品、NTN、新電元で競技を続けた。全日本実業団駅伝(ニューイヤー駅伝)に計9回出場。2000年の千葉国際駅伝では日本代表で4区を走り、優勝に貢献。生涯ベスト記録は5000メートル13分25秒72、1万メートル28分7秒09。
【第102回箱根駅伝シード校】青学大、駒大、国学院大、早大、中大、城西大、創価大、東京国際大、東洋大、帝京大
◆麗沢大 2004年に同好会としてスタート。06年に陸上競技部に昇格し、創部。箱根駅伝予選会には同好会時代の05年に初挑戦し、22位。同年度の06年に関東学連選抜の一員として伊藤文浩が麗沢大初の箱根駅伝ランナーとなった(8区9位)。練習拠点は千葉・流山市。