◆報知新聞社後援 第102回東京箱根間往復大学駅伝競走(箱根駅伝)予選会(18日、東京・立川市陸上自衛隊立川駐屯地スタート、国営昭和記念公園ゴール=21・0975キロ)

 前回の予選会で14位で敗退した東海大が5位で通過し、2年ぶり52回目の出場を決めた。昨年はゴール手前15メートルでロホマン・シュモン(4年)が途中棄権するなどのアクシデントに見舞われたが、1年間、地道に努力を重ね、復活を果たした。

 各校の上位10人の合計タイムで競い、10位以内の大学が箱根駅伝(来年1月2、3日)の出場権を獲得。前回優勝の青学大はじめシード10校、予選会通過10校とオープン参加の関東学生連合の計21チームが新春の箱根路に臨む。

 まさかの敗退から1年。「湘南の暴れん坊」の異名を持つ東海大が、力強く復活した。予選通過が決まった瞬間、両角速監督(59)、主力の花岡寿哉(4年)、兵藤ジュダ(4年)、そして、ロホマンは、喜びをかみ締めた。「登録した14人全員が万全の状態でした。他校を意識するより、自分たちの走りに徹すれば通過できると思っていました」と両角監督は力強く話した。

 昨年の予選会はまさかのトラブルが続いた。季節外れの暑さに見舞われ、レース中に気温は25度を超えて「夏日」となった。東海大は、越陽太(当時4年、現サンベルクス)が終盤に失速して個人総合396位、ロホマンが途中棄権したことなどが響き、14位で敗退した。

 東海大は箱根路でリベンジするため、1年間、地道に練習を重ね、チーム力はアップした。ロホマンも堂々と予選会の登録メンバー14人入りを果たした。

 ロホマンは箱根駅伝で2度の大きな試練にも決して負けていない。

 1度目の試練は2024年1月の第100回箱根駅伝。東海大の最終10区を担ったロホマン(当時2年)は10位でタスキを受けたが、区間20位と苦戦し、大東大に逆転された。「その時の実力をほぼ出すことが出来ましたが、その実力が足りませんでした」とロホマンは潔く話す。

 東海大は11位でシード権を逃し、第101回箱根駅伝は予選会から戦うことになった。その予選会で2度目の試練が待っていた。季節外れの暑さによって、ロホマンは熱中症に陥り、残り1キロで失速。残り150メートルで倒れた。両膝をつきながらゴールを目指したが、残り15メートルで棄権。チームは14位で落選した。「チームメート、特に4年生の先輩に申し訳なかったです」と静かに振り返る。失意の中、前主将の梶谷優斗(現住友電工)の言葉に救われ、再び、走り出した。

「梶谷さんに『ロホマンだけの責任ではない。チーム全体の責任だから。落ち込んでいても何も始まらない』に言われ、前を向くことができました。多くの人に励ましてもらいました」と先輩に感謝する。

 学生ラストシーズンは好スタートを切った。4月の四大学対校戦1万メートルで優勝。その後も練習を継続し、予選会のメンバーに入った。両角速監督は「昨年は故障で練習を積めない時期がありましたが、チーム事情でロホマンが予選会を走るしかありませんでした。なので、昨年の予選会敗退は私をはじめ、チーム全体の責任です。今年、ロホマンは夏合宿でも地道に走り込みました。地力はついています」とロホマンへの信頼を明かした。

 本当の戦いはこれからだ。

晴らすべきリベンジは、まだ、続きがある。「最後の箱根駅伝で、もう一度、10区を走りたい。このままでは終われません」とロホマンは力強く話す。

 東海大は2019年箱根駅伝で悲願の初優勝を遂げた。その後も20年は2位、21年は5位と上位で戦ったが、22年は11位、23年は15位、24年は11位とシード権を逃し、前回は本戦出場を逃した。それでも、諦めることはしなかった。

 試練を真っ向から受け止めて走り続ける東海大とロホマンの挑戦は、2026年新春の箱根路へ続く。 

 【第102回箱根駅伝シード校】青学大、駒大、国学院大、早大、中大、城西大、創価大、東京国際大、東洋大、帝京大

 ◆東海大 1961年創部。箱根駅伝は73年に初出場。2019年に初優勝。出雲駅伝は優勝4回(05~07、17年)、全日本大学駅伝は優勝2回(03、19年)。練習拠点は神奈川・平塚市。

タスキの色は紺と白。主な陸上部OBは08年北京五輪男子400メートルリレー銀メダリストの末続慎吾、塚原直貴氏、12年ロンドン五輪トラック長距離代表の佐藤悠基(SGホールディングス)ら。

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