第102回箱根駅伝予選会が18日、東京・立川市などで行われ、前回14位で敗退した東海大が5位通過した。昨年、熱中症のため、ゴール手前10メートルで途中棄権したロホマン・シュモン(4年)は個人総合87位、チーム6位と好走し、2年ぶり52回目の出場に貢献した。
2024年10月19日。1年前の第101回箱根駅伝予選会。ロホマンはゴールラインにわずか10メートル届かず、力尽きた。季節外れの暑さに見舞われ、レース中に気温は25度を超えて「夏日」に。東海大は複数の選手が熱中症に陥った。主力の越陽太(当時4年、現サンベルクス)は終盤に失速して個人総合396位、ロホマンがゴール手前約10メートルで途中棄権したことが響き、まさかの14位で敗退した。
「チームメート、特に、4年生の先輩に申し訳ない気持ちです」とロホマンは1年前の悪夢を振り返る。
前回、東海大は12年連続の箱根駅伝出場を逃した。ただ、チームにロホマンを責める仲間は、ひとりもいなかった。
予選会敗退の翌日。両角速監督(59)を取材した。「ロホマンにきつい役回りをさせてしまいましたが、ロホマンが悪いわけではありません。
その後、そっと、スマホの写真を見せてくれた。
そこにはロホマンの痛々しい両膝があった。灼熱(しゃくねつ)のアスファルトを100メートル以上も四つんばいで進んだため、深い擦り傷を負った。その後の回復状況を記録するために撮影された写真だった。
個人レースなら、これほどの傷を負う前に、とっくに棄権していただろう。しかし、このレースは、箱根駅伝予選会。各校12人がハーフマラソンを一斉スタートし、上位10人の合計タイムで本戦出場権を争う。苦しいから、痛いから、といって、投げ出すことはできない。「あと10メートル…。何で、はいつくばって、もがいて、ゴールできなかったのか、と後悔しています。チームで戦っているので」とロホマンは厳しい表情のまま話した。
一時は競技を辞めることも頭をよぎったが、前主将の梶谷優斗(現住友電工)の言葉に救われたという。
「梶谷さんに『ロホマンだけの責任ではない。チーム全体の責任だから。落ち込んでいても何も始まらない』に言ってもらい、前を向くことができました。チームメートやスタッフ、高校時代の先生、家族、多くの人に励ましてもらいました」と感謝する。
1か月後、練習を再開した。「しばらくは膝を曲げることができませんでした。風呂にも入れませんでした。でも、しっかりとリハビリを指導してもらったので、皮膚は回復して後遺症はありません。両膝のケガで休んでいる間に熱中症のダメージも回復しました」と明かす。
昨年の大みそか。ホームグラウンドの神奈川・平塚市の東海大湘南キャンパス陸上競技場で行われた東海大長距離競技会1万メートル第1組に出場し、30分22秒10でトップを取った。
年が明け、1月2、3日の第101回箱根駅伝では沿道で、観衆の交通整理などをサポートする走路員を務めた。目指すべき大舞台の輝きを目に焼き付けた。
東海大チームも、ロホマンも、第102回箱根駅伝に向けて、意欲満々に練習を重ねていた今年の春。両角監督とロホマンは秋の予選会で、ロホマンが好走した上で東海大が復活出場を果たした際には「チームのために力尽きるまで戦った証し」でもある両膝の写真を紹介することを快諾してくれた。
そして、2025年10月18日。第102回箱根駅伝予選会。1年前、死力を尽くしても届かなかった最後の10メートルをロホマンは、2秒弱で軽やかに駆け抜けた。
「昨年は17キロくらいから意識が朦朧(もうろう)としていましたが、今年は余力があって、ラストスパートができました」。マネジャーがつくってくれた応援用うちわを手に満面の笑みで話した。
来春の卒業を区切りに、競技の第一線を退く。最後の箱根駅伝に向けて練習に励む一方で、公務員試験にも全力で取り組んでいる。「入学した当初は実業団で競技を続けることも考えていましたが、3年生になって、総合的に考えて、競技は大学までにしよう、と決めました。最後、納得した形で卒業したいです」と話す。
2年時の第100回箱根駅伝では10区を担ったが、区間20位と苦戦し、10位から11位に後退。シード権(10位以内)を逃した。ロホマンの試練は、そこから始まった。
「本戦ではシード権獲得が目標です。僕はそのためにもう一度、10区を走り、区間賞を取るくらいの力をつけたい」と力強く話す。
予選会の借りは予選会で返した。2026年1月3日、本戦の借りを本戦で返す。ロホマン・シュモンは、強い覚悟を持って東海道に向かう。
◆ロホマン・シュモン 2003年12月4日、神奈川・逗子市生まれ。21歳。小学校4年生から陸上を始める。逗子中3年時に全国都道府県対抗男子駅伝に神奈川県代表として出場し、2区(3キロ)25位。川崎市立橘高3年時に5000メートルで県大会4位、南関東大会9位。22年に東海大体育学部生涯スポーツ学科入学。自己ベスト記録は5000メートル14分12秒45、1万メートル29分7秒48、ハーフマラソン1時間2分40秒。176センチ、66キロ。