空手家・佐竹雅昭(60)が今年、格闘家人生45年を迎えた。その実力と人気で1990年代に人気が沸騰した立ち技系格闘技イベント「K―1」を生み出したレジェンド。

スポーツ報知は現在の格闘技人気につながる礎を築いた佐竹を取材。空手家人生を代表する「十番勝負」を連載する。最終回は「番外編」。「プロレス」アブドーラ・ザ・ブッチャー戦。

 02年12月31日、さいたまスーパーアリーナ。アントニオ猪木が主宰したイベント「INOKI BOM―BA―YE 2002」で柔道家の吉田秀彦に敗れ佐竹は格闘技から引退をした。

 極真空手を創始した大山倍達に憧れ、15歳に空手の道へ入った。以来、正道会館の全日本選手権を制し頭角を表すとドン中矢ニールセンとの初のキックボクシングマッチを突破、伝説の空手家“熊殺し”ウイリー・ウイリアムスを破り、プロレスラー前田日明が主宰する「リングス」参戦。同時に芸能界でも活躍し広く大衆へ「佐竹雅昭」の名前を浸透させた。

 その知名度と実力が立ち技系格闘技イベント「K―1」につながり、90年代に起きた絶大なブームを牽引した。「K―1」離脱後は、総合格闘技イベント「PRIDE」に闘いの場を求め、結果は出なかったが、その空手家人生は、常にチャレンジの連続。まさにリアル「空手バカ一代」だった。

 「振り返るといろいろな闘いに挑戦したなと思います。自分で言うのも変なんですが、客観的に見て、空手家としてドラマチックな人生を送ったと思います。闘いを通じて様々な勉強をさせていただきました」

 

 ただ、リングにかける夢は吉田戦で終わりではなかった。子供のころから憧れていたリングが佐竹にはあった。

 「もともとが前田日明さんに挑戦したいという野望があったぐらいですからプロレスへの憧れがずっと僕の中にあったんです。正道会館を辞めてプロレスラーになりたかった時期もありました。ですから空手家として格闘技は引退しましたけど、最後はプロレスをやりたかったんです」

 夢は、引退した翌03年1月19日、東京ドームで叶った。大会は「WRESTLE―1」。対戦相手は、昭和時代に全日本プロレスのリングでジャイアント馬場、テリー・ファンクらと血で血を洗う激闘を展開し絶大な人気を獲得したアブドーラ・ザ・ブッチャーだった。ブッチャーとは前年となる02年11月17日にも横浜アリーナで対戦していたが、リングに別れを告げるべく再戦を待望していた。

 「プロレスをやるんだったらそんじょそこらのレスラーとやっても面白くありません。そこは、やはり我々の世代でトップ外国人レスラーといえば、タイガー・ジェット・シンかブッチャーですから。

リングの最後を締めくくるにはブッチャーと対戦できて夢のようでした」

 リングネームは「佐竹雅昭」ではなく「SATA…yarn」に改名した。

 「プロレスラーとしてリングに上がるには、リングネームから変えないといけないと思いました。自分の中でのけじめでした」

 横浜アリーナでの初戦は、ブッチャーの必殺技「エルボードロップ」に撃沈した。再戦となった東京ドームでは、ザ・ドリフターズのコントをほうふつとさせる「たらい」を凶器にしブッチャーを攻めたが、流血に追い込まれ、再び「エルボードロップ」の毒針で敗れ去った。

 「僕が勝っても面白くない、と思っていましたから、負けて本望でした。試合前はブッチャーから『ガンガン来てくれ』とメッセージをもらって、彼をストロングスタイルに染めたかったんですが、そうはいきませんでした。すべてはいい思い出です。プロレスファンから見たら腹立つかもしれない試合だったかもしれませんが、格闘技で頑張ったからこその、ご褒美のような試合でした。奇跡の一戦。夢の世界でした」

 リングを去ってから20年あまり。還暦を迎えた佐竹は、様々な講演活動など多岐にわたり活躍をしている。空手家時代をこう振り返る。

 「思えば、10年ちょっとなんですよね。短い期間でしたけど凝縮した時代でした。そこまでの道のりは平らじゃなくしんどいこともたくさんありました。ただ、あのころ、お世話になった方から言われた言葉があるんですが、それは『佐竹、カッコつけたら成功しないぞ。自然に生きなきゃダメだ』。振り返ると、カッコつけず自分が思うままに自然に闘っていたと思います。リング上だけでなくリング外もいろんなことがありましたから…カッコつけずにまっすぐに歩いてきたことが今の人生につながっていますし、お世話になった方の言葉を守ってよかったと思っています」

 そして、あらゆる人々へ言葉を贈った。

 「大切なことは人に嫌な気持ちを与えないことです。お金でも何でもある程度、もったらそれ以上は望まないことです。無償のボランティア。逆に人に与えることです。それを焦らずにやっていくことです。

周りに威勢を張る人間がいるかもしれません。そういう人間は、ビビリ。相手にしなくていいんです。そして、すべてを断ち切って自分の力で新しいものを作ってほしい。そのための勇気をもってください。勇気があれば、すべての扉は突破できます」

(終わり。敬称略。取材・書き手 福留 崇広)

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