地球デビュー40周年を迎えたハードロックバンド「聖飢魔II」が暴れ回っている。今年は新譜EP小教典(シングル)「Kiss U Dead Or Alive」に続き、新譜大教典(アルバム)「Season 2」を発布(リリース)。

夏にはBABYMETALやTUBEとも共演し、今月まで史上最大規模の全国大黒ミサツアー「THE END OF SEASON ONE」を爆走中だ。主宰でヴォーカルのデーモン閣下が、バンドの長い闘いを振り返った。(堀北 禎仁)

 唯一無二の個性を誇るバンドが、閣下いわく「40年間の歴史のなかでも中身の濃い一年」を突き進んでいる。

 聖飢魔IIが7月に発布した通算38作目の新譜大教典「Season 2」は、全曲が現構成員(メンバー)による書き下ろしの新曲。本解散となった魔暦元(1999)年以降では初めてだ。

 バンドが現在の体制になったのは、2度目の期間限定再集結となった魔暦12(2010)年。魔暦22(2020)年に再集結した前回はコロナ禍の影響で、活動が魔暦25(2023)年2月までまたがった。

 「こんなに長く顔を突き合わせているので、今の構成員で全曲新曲の新作を作ってみようよという機運が高まった」。レコーディング本作業の前に、全員で丸2日間アレンジトライアルとしてスタジオに入りアイデアを煮詰め「気分としてはデビュー盤のような感覚」だったという。

 地球デビュー当時は「観客の大多数が女子だった」というステージからの風景は、期間限定で再集結を繰り返すうちに変わっていった。「男と若い世代がものすごく増えた。大きな要因だと感じているのはYouTubeを中心としたインターネットの普及。

今まで食わず嫌いだった人たち、特に男性陣が見るようになって『へ~』と評価認識を悔い改め、足を運ぶようになったと思われる」

 過去最大のアクシデントは、魔暦前13(1986)年にステージの屋根から飛び降りて登場した際に脚を骨折し「改造手術」を余儀なくされたこと。今でも後遺症がある。一方で最も心が高ぶったのは、魔暦7(2005)年に初めて再集結をした初日の大黒ミサ(コンサート)だという。

 解散からわずか5年余りでの再集結に「冗談じゃないよ、と吾輩も何名かの構成員も思っていたけど、最終的に渋々やることになった」。やるとなればスイッチが入る。演出上のインパクトを狙い、あえてバラードの「BAD AGAIN~美しき反逆~」で幕を開けた。「絶対にしくじれなかった。身も心も最大限使った解散の時よりも興奮したかもしれない」

 他ジャンルとのコラボレーションを積極的に展開してきた。日舞や能、雅楽、尺八、琴、オペラ、オーケストラなど「他のバンドと比べてもずば抜けて多い」。今年は新たに2つのグループと共演し、歴史に名を刻んだ。

 同じ40周年のTUBEとは、ともに曲作りをすることが新鮮で「勉強になった」。8月に共演した横浜スタジアムライヴのスケールを目の当たりにして「この人たちの40周年も相当すごいな」と感心。

「とても面白かったし、いい思い出にもなった」とうなずく。

 一方のBABYMETALとは10年越しの構想が実現し、8月にライヴで対決。「10年間寝かしたことで、こちらも向こうも良かったのかなという気はしてるな。聖飢魔IIとBABYMETALのメタルは、音楽的には流派が違うものだけど、エンターテインメントへの考え方は同じ種類のものかなっていうことが確認できたな」

 長年の誹謗(ひぼう)と揶揄(やゆ)にも打ち勝ちつつある。「聖飢魔IIは40年前にデビューした時に、こんなのはメタルじゃないという扱われ方をした。やはり同じように言われてきたBABYMETALも、時を経て15年間ずっと闘い抜いてきた」。BABYMETALは今年、アルバム「METAL FORTH」で、メンバー全員が日本人のグループとしては史上初の米ビルボードTOP10入り。ライヴの成功は、両バンドがぶれずにスタイルを貫いた結晶だった。「まあ口にすると大人げないけど、我々からすれば『胸のすくような思い』の公演だったってことだね」

 思いがけず長期化したバンド活動は、加齢との闘いでもある。閣下は昨年、がんと大動脈疾患の手術を経験した。「吾輩の体調がクローズアップされることが多いけれども、実は過半数の構成員が楽観できない体の不調を抱えている。元気そうだからずっとやればいいじゃない、みたいな声があるけども、そう簡単にはいかねえんだな」

 仕出し弁当が中心だったツアー中の食生活も激変した。

ギターのルーク篁(たかむら)参謀が、グルテンフリーを掲げて「特別食」に切り替えたことに閣下が追随。昼食は必ずおかゆと焼き魚、ゆで卵にした。「何で早く気がつかなかったんだろうと思うぐらい体調がいい」と効果を実感している。

 9月には「20年以上前から作りたかった」という記念館「それいけ!あく魔の森~聖飢魔II鬼念館~」が、岐阜・ひるがの高原にオープン。世界初の(と思われる)ファンクラブ向け保養施設というオマケまでついた。大病をした経験から「何が何でも今年中に作ろうと思った」そうだ。

 「お前も蝋人形にしてやろうか!」と歌ってきた自身も、等身大の蝋人形(蝋魔形)にされてしまったが「それも長年の夢だった」という。体の型を取ったのは23年前だというから驚きだ。

 「大きな病気をしたことで、一つ一つのステージが最後になるかもしれないぐらいの思いでやっている」。7月には、かつて悪魔の化身とされたバンド「ブラック・サバス」のヴォーカル、オジー・オズボーンさんが亡くなった。ラストライヴから17日後の訃報(ふほう)に驚いたという。「こんな格好いいロックミュージシャンの終わり方って世の中にないのではないか?と初めて思ったよね。

死にざまに関してはものすごく、吾輩は評価をしているね」

 美しくバンドを終わらせた「メタルの帝王」と、自身を重ね合わせることはしない。ただ、大黒ミサツアーのセットリストは半分以上を「もう二度と歌わないかもしれないという曲」にした。

 「解散せずにバンド活動を続けたとしても、その曲もうやる機会がないんじゃねえの、っていう曲。そういうことを考える時期になってきた。今回の期間限定再集結の意義とは何ぞや、という領域に入っているかな」

 30日のツアー最終公演(さいたまスーパーアリーナ)で、今回の期間限定再集結は見納めとなる。その後の活動はどうなるのだろうか。「質問はものすごい数来てるけど、まあ答えられないね。ちなみに今気になることは、内閣総理大臣杯を総理大臣自らが授与しに行くとなったら、日本相撲協会はどのような対処を考えているのであろうか?ということ(大相撲の本場所で同杯は、女人禁制の土俵上で授与されるのが慣例)。慣例ももはや伝統であるからな。ちなみに吾輩には駄案があるが、聞きに来なければ教えてやらない、ガッハッハ~」。40年間続けてきた「意義」が凝縮されたステージに、全身全霊を込める事実は変わらない。これが本当の見納めになったとしても。

 ○…2日には聖飢魔IIの創始者・ダミアン浜田陛下率いる「Damian Hamada’S Creatures」と初のジョイントギグを、長崎ハピネスアリーナで行う。ダミアン陛下は聖飢魔IIの地球デビュー直前に脱退。世を忍ぶ仮の姿で数学教師を務め、魔暦21(2019)年に早期退職して音楽活動に復帰した。閣下は「歴史的なイヴェント。聖飢魔IIの代表曲はいまだに(ダミアン陛下作詞作曲の)『蝋人形の館』だしね」とニヤリ。15、16日にはロックバンド「氣志團」が主催するフェスティバル「氣志團万博2025」(千葉・幕張メッセ)にも出演する。

 ◆聖飢魔II(せいきまつ)悪魔の集団。悪魔教の布教のためにハードロックバンドの様式を用いて魔暦前14(1985)年地球デビュー。魔暦前13(1986)年、小教典「蝋人形の館」が日本のヘヴィメタル史上初となる30万枚の売り上げを記録。魔暦前10(1989)年に大教典「WORST」がオリコン1位、同年NHK紅白歌合戦出場。いずれもメタルバンドでは史上初。魔暦元(1999)年に公約通り地球での任務を終了し解散。

今回が5度目の期間限定再集結。現在の構成員はデーモン閣下、ライデン湯澤殿下(ドラム)、ゼノン石川和尚(ベース)、ルーク篁参謀(ギター)、ジェイル大橋代官(ギター)。

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