大相撲の元小結・遠藤(追手風)が9日、福岡市内で現役引退会見を行った。抜群の人気で土俵を沸かせた遠藤は今後、年寄「北陣」を襲名し、追手風部屋付き親方として後進の指導にあたる。

 昨年2月、1月の能登半島地震の遠藤の被災者訪問に同行した。金沢から能登への車中で崩れた住宅やぼこぼこになった道を見て、表情はみるみるこわばった。地元・穴水町役場での挨拶も厳しいまま。だが同町の避難所につくと、新入幕で優勝争いしたばかりの大の里(二所ノ関、現横綱)をそっちのけで遠藤に歓声が上がり、しこ名が書かれたタオルが掲げられ、涙を浮かべる人もいた。

 ずっと厳しい表情だった遠藤は知人に声をかけられ「おお! 元気?」。寡黙な取組後の支度部屋ではみせたことのないもので、その安堵(あんど)した表情が忘れられない。そして「生活するのも大変な中、皆さんの前向きな姿を見ると僕も励まされた」と被災者に感謝した。

 1年後の今年2月。活躍で地元に勇気を届けたいかと問われた。実家はまだ帰れる状況ではなく、「僕はそういうつもりで相撲を取っていない。精一杯やることだけ考えて、結果的に一人でも笑顔になってくれたらうれしい」と言葉を選びながら話した。4月の石川・七尾市での春巡業会場近くに仮設住宅を目にすると「(僕が)胸を締めつけられるというより、毎日生活にいっぱいいっぱいの方が大勢いるんだなと感じる」。

震災直後の初場所では地元から贈呈された化粧まわしをつけて土俵入り。被災者への強い思いやりを感じる誠実な姿勢が印象に残っている。

 また昨年は夏場所で十両に転落し1場所で幕内復帰。今年2月に抱負を聞くと苦しい胸の内を明かしてくれた。「番付が戻ったから復活が出来たわけではない。若い頃は技術や押す力など目に見えるものを追っていったが、今は失っていくだけ。奇跡を信じてやるしかない」と現実を見つめた。その一方で「でも今は当時見えていなかった経験を学べている。割り切って柔軟にやっていく」と前を向いた。兄弟子の幕内・大栄翔は「ストイックな姿勢がすごかった」と明かす言葉通りだった。両膝のケガを抱えながら35歳まで相撲を続けたのはケガを乗り越える努力があったから。「スー女」ブームの火付け役は泥臭く、硬派な男だった。

(大相撲担当・山田 豊)

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