黒澤明監督「影武者」「乱」などで日本を代表する俳優として知られる仲代達矢さんが死去したことが11日、分かった。92歳だった。
仲代さんは現役を貫き、90歳をこえても、その意欲は衰えることがなかった。今年6月には無名塾公演「肝っ玉おっ母と子供たち」を「第2の故郷」と話していた石川・七尾市の能登演劇堂で上演。仲代は戦場を渡り歩く主人公の女商人“肝っ玉おっ母”を力強く演じていた。
15年に文化勲章を受けた。俳優では2013年の高倉健さん(14年死去、享年83)以来。「七人の侍」(1954年)で仲代さんを映画の世界に誘った黒澤明監督も、85年にこの勲章を得た。62年かけ、尊敬する黒澤さんに並んだ。文化勲章受章時の取材で俳優人生について語っていた。
「想像もしなかった。
劇団俳優座で役者人生をスタート。自身のベストワンに挙げる小林正樹監督「切腹」を始め、黒澤作品の常連として「用心棒」「天国と地獄」「影武者」「乱」に出演。カンヌ映画祭など国内外の映画賞も受賞してきた。75年春、(脚本家で演出家の)宮崎恭子夫人(96年死去、享年65)と「無名塾」を設立。「有名な役者も無名に返って修業する場があるべき」という思いが原点。最初は新人養成はその一部だったが、役所広司らが生まれた。文化勲章受章時の会見も年表のように写真が並ぶ40年間の思い出の詰まった無名塾でだった。仲代さんの隣に置かれた椅子は、恭子夫人が愛用したもの。「仏壇にも『こんなすてきな賞をいただいたよ』と報告して。『よくやったね』とほめてくれるんじゃないでしょうか」。
舞台、映画、後進の育成と大きな柱3本で、これほどまで実績を残した人は他にいない。「黒澤監督が受章されたときのことは覚えています。大喜びされてね。お酒を飲み交わしました。高倉さんとは、一度も交流する機会はありませんでしたが」
父親を早くに亡くし、小学校時代は転校を繰り返した。「いじめられ、毎日泣いた。内気で引っ込み思案だった私が、まさか人前で演じる仕事をするとは」いまも不思議に思うことがあるという。「学歴がなくて食っていくためにはボクサーか役者しかなかった」。ボクシングも約1年半やってみたが、ある人に「顔がいいのだから」と俳優を勧められ、人生は大きく変わっていった。映画・演劇史に残したものは、あまりにも大きい。
◆仲代 達矢(なかだい・たつや)本名・仲代元久。

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