日本サッカー史上最高ストライカーで、今年8月10日に肺炎のため81歳で死去した釜本邦茂さんのお別れの会が22日、都内で開かれた。
釜本さんは、1968年メキシコ市五輪で、アジア勢初の表彰台となる銅メダルを獲得した日本代表のエースで、同大会で7得点を挙げ得点王に輝いた。
お別れの会では、同五輪の同僚でGKだった横山謙三氏、山城高、早大などでともにプレーした二村昭雄氏、C大阪などで監督を務めた西村昭宏氏(大阪府サッカー協会FAコーチ)、パナソニックHD特別顧問・松下正幸氏が追悼の辞を述べた。
日本サッカー協会・宮本恒靖会長は「釜本さんは日本が誇るストライカーで、その圧倒的な存在感と世界基準のプレーは、現役時代を映像でしか知らない我々の世代にもとても大きなインパクトを与えてくれました。1964年の東京五輪に出場。メキシコ市大会では7得点を挙げ得点王に輝くなど、世界に日本サッカーの存在を知らしめてくださいました。釜本さんの持つ国際Aマッチ75得点は、男子日本代表の歴代最多記録です。40歳まで第一線で活躍されたことは、天賦の才能と日々の鍛錬のたまものだと思います。
釜本さんは私にも大きな影響を与えてくださいました。ガンバユースの一期生としてプレーをし始めた頃、その母体となった釜本FC出身の選手たちのボールを止める蹴るという技術の高さに驚かされました。
Jリーグが開幕して33年、日本サッカーは超速の進歩を遂げました。欧州の5大リーグで活躍する選手が増え、サムライブルーは世界基準の実力を備えるまでに成長を遂げています。そのサムライブルーはカタール大会でのドイツ戦、スペイン戦に続き、先月のブラジル戦でも、0―2から3―2で勝利する大きな進歩を見せてくれています。もし釜本さんがご覧になられていたら、森保監督、選手たちに『よくやった』と言いながらも『これで満足したらあかん』と来年のW杯に向けてハッパをかけてくださったのではないでしょうか。優勝を目標に挑むW杯での侍たちの優勝を、ぜひ天国から見守っていただきたいと思います。
日本代表の世界への道は1936年のベルリン五輪から始まり、64年の東京五輪を経て、続くメキシコ市大会で釜本さんが世界と戦えることを示してくださいました。それが日本サッカーのDNAとして現在まで受け継がれています。今から半世紀以上も前に世界と伍(ご)して戦い、日本のサッカーの存在を世界に示してくれた釜本さん。私たちはそのお名前と輝かしいご功績を胸に刻み、これからもサッカーの発展に全力を尽くしてまいります」などと故人をしのんだ。
◆釜本 邦茂(かまもと・くにしげ)1944年4月15日、京都市生まれ。山城高、早大を経て67年にヤンマー入り。

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