日本サッカー史上最高のストライカーで、今年8月10日に肺炎のため81歳で死去した釜本邦茂さんのお別れの会が22日、都内で開かれた。

 釜本さんは、1968年メキシコ市五輪で、アジア勢初の表彰台となる銅メダルを獲得した日本代表のエースで、同大会で7得点を挙げ得点王に輝いた。

国際Aマッチ75得点は日本歴代最多。ヤンマー(現J1・C大阪)では日本リーグ最多の202得点。93年のJリーグ開幕時はG大阪を指揮した。その後は日本サッカー協会の副会長などを務め、2005年に日本サッカー殿堂入りした。

 元なでしこジャパン澤穂希さんは「偉大な大先輩であり、憧れている先輩でした。釜本さんと初めてお会いしたのは7歳の時。私もサッカー教室に参加した選手の一人で、その当時、女の子がサッカーをやっているのは本当に珍しい時代だった。『君、本当に女の子かい?』というのが一番最初に交わした言葉です」と振り返った。

 2011年W杯の前には、当時の澤さんの得点数が74だったこともあり(釜本さんが75得点で男子の代表最多)、「冗談で『お前この記録分かってんだろうな』というのを(言われた)。でも、それは私の背中を押してくれる励ましの言葉であり、前目の選手は得点にこだわれ、得点を必ず取ってこいという意味で、背中を押してエールをくれた言葉だと思っています」と語った。W杯で優勝し、日本に帰国後、釜本さんの自宅に招かれたことを明かし、「その時に一緒に、お互いに世界で戦った話をしたのを覚えています。釜本さんのご自宅で、初めてはもをごちそうになった。

今まで食べたことがなかったんですけど、そういう食べ物のことも釜本さんに教えていただいた思い出があります」と懐かしんだ。得点記録を超えたことについても「おめでとう、よかったなと言ってくださった。負けず嫌いな釜本さんがそのようなお言葉をくださったのはうれしかったとともに、私ももっともっと得点記録を伸ばしていきたいなと思いました」と当時の心境を振り返った。

 澤さんは「釜本さんが日本のサッカー界をけん引してくださったおかげで、今の日本サッカー界があると言っても過言ではない。私も釜本さんの“女子版”として、釜本さんには追いつかないですが、そのような存在でいたい」と故人をしのんだ。

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