大関昇進を確実にした安青錦。これまでの歩みを振り返る連載の第2回は、幼少期の相撲との出会いを語った。

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 ウクライナ出身で後に安青錦となるヤブグシシン・ダニーロ少年は、6歳の時に相撲と出会った。習っていた柔道教室の練習後、先輩たちが相撲を取る姿を見て「勝負がつくのがとても早くて、ルールもわかりやすい。面白いと思った」。すぐに相撲のとりことなり、競技を始めた。

 持ち前の頭を下げた前傾姿勢、その原点は相撲と並行して8歳から17歳まで打ち込んだレスリングにある。レスリングでは実戦練習に加え、足を使わずに上腕だけを利用してロープを登る筋力トレーニングを行った。腹筋、背筋、広背筋などを幼少期から鍛え抜き、その成果は「まわしを取るのにも生かされている」と語る。指導は厳しく、週3回だった練習は、年齢を重ねるにつれて増えていき、最後は2部制の週10回にまで増加。「最初から真面目にやらされたというか、子ども扱いでなかった。それでもあの時があったから、今があると感謝している」と振り返る。

 代名詞となりつつある内無双は、子どもの頃から大会で何度も出していた。182センチ、140キロの体は、角界で決して大きいとは言えない。

「子どもの時から力がない方だったから、自分がされて嫌なことを、相手にやるという考えでやってきた」。懐に入って頭をつける、自身よりも体が大きい相手に勝つための方法を考え、得意技を磨いてきた。

 現在は過去の取組映像を何度も見返す相撲マニアとして有名だが、始めた当初は大相撲の存在をほとんど知らなかったという。貴乃花と朝青龍の気合のこもった一番を初めて見て、「いつかプロになりたいと思った」と、大相撲への憧れを抱いた。そして22年4月、力士になるという夢を胸に、18歳の青年は海を渡った。(特別取材班)

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