広島、中日、阪神、日本代表などでコーチを歴任した大経大の高代延博(たかしろ・のぶひろ)監督が9日午後8時42分に食道胃接合部がんのため死去した。71歳だった。

今秋から体調が悪化し、病院で療養していたが、現職のまま帰らぬ人となった。

 高代さんを知ることができたのは、13年のWBCだった。前年はオリックスでヘッドコーチを務め、チームは最下位。「岡田(彰布)監督が辞めるときは、僕も一緒」と一蓮托生(いちれんたくしょう)を貫き、辞任した直後だった。

 「浩二さんにお願いされたら、もう断れない」。法大の先輩にあたる山本監督を支え、内野守備走塁コーチに就任。実は、誰よりも燃えていた。「アメリカには持って行く」と準備していたのが、赤いスパイダーマン柄のパンツ。09年の第2回大会で知人から贈られ、準決勝、決勝を勝ち抜いた「勝負パンツ」だった。

 「アメリカには持って行く」と言いながら、東京Dでの2次ラウンドからこっそり「解禁」。いつでもはけるように自身で手洗いしていたのは、勝利への執念だろう。残念ながら浩二ジャパンは準決勝で敗退。

翌朝、2人でサンフランシスコを散歩した。テラス席に座り、コーヒーをテイクアウト。「終わってしもたな…」と本気で悔しがる表情が忘れられない。最後に会ったのは数年前。カラオケをしただろうか。体調が悪いとは聞いていた。落ち着いたら連絡しよう。そう思って、できなかったことを後悔している。(13年侍ジャパン担当・長田 亨)

 ◆高代 延博(たかしろ・のぶひろ)1954年5月27日、奈良・下市町生まれ。智弁学園から法大、東芝を経て、78年ドラフト1位で日本ハムに入団。88年オフに広島に移籍し、89年に現役引退。ベストナイン、ゴールデングラブ賞を1度ずつ受賞。

90年からは広島、日本ハム、ロッテ、中日、オリックス、阪神、韓国球団で守備走塁、ヘッドコーチなどを歴任。通算917試合で打率2割5分6厘、57本塁打、346打点。

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