◆J1昇格プレーオフ ▽決勝 千葉1―0徳島(13日・フクダ電子アリーナ)
J1昇格プレーオフ(PO)決勝が行われ、千葉が徳島を1―0で下し、2009年以来となる17年ぶりの復帰を決めた。千葉のクラブユナイテッドオフィサー(CUO)としてクラブと地域、企業などをつなぐ役割を務める元日本代表MF佐藤勇人氏(43)が、スポーツ報知の取材に応じ、名門の重責、タイトルを経験した“オシム時代”から脱するのに苦しんだ歴史を振り返った。
栄光と低迷を経験してきた佐藤氏が歴史の重みをかみしめた。2000年代前半、「オシム・チルドレン」として活躍。自身がチームを離れた09年にJ2降格が決定。翌年クラブに戻り、J1復帰へ戦った。しかしその夢は、現役時代にはかなわなかった。
「僕自身、このクラブにとって、オシムさんはものすごく重要人物だと思いながら当時はプレーしていました。でも、それが問題なんじゃないかと考えたこともありました。だから1回、そこから離れて『イビチャ・オシム』という名前を話さない、と決めたこともありました。それでも、結果は変わることはありませんでした」
活動資金、練習の環境面はJ2上位と充実。だが、J1復帰に届かないまま、16年が経過した。「恵まれた環境が、甘えをもたらしているんじゃないか、と思う時は何度もありました」。脱却するきっかけは、サポーターだった。
「今年はチームがかみ合わない時、甘さが出そうな時にガツッと締めてくれたのは、サポーターの声援だった。前半ふがいない戦いをしたある試合、ハーフタイムもサポーターが声を止めずに、ずっと応援してくれた時もありました」
PO準決勝の大宮戦は3点差大逆転。サポーターの声が、折れそうになった選手の背中を押してくれた。
「歴史があるからこそ今がある。サポーターに、ジェフをJリーグ初年度から応援してるよ、今苦しいけど頑張ろうねと声をかけてもらうこともある。今は体がきつくてフクアリには行けないけど、子供や孫が行っているよ、とか。クラブの歴史を一緒に、サポーター、地域の人たちが支えて、新たな人に伝えている。それがオリジナル10のジェフが持つ財産です」
今回のJ1昇格は、ジェフとサポーターが紡ぐ新たな章の始まりとなる。
◆佐藤 勇人(さとう・ゆうと)1982年3月12日、埼玉・春日部市生まれ。43歳。ジェフユナイテッド市原ジュニアユース、ユースを経て、2000年、双子の弟・寿人とともにトップ昇格。後に日本代表監督も務めるイビチャ・オシム監督の下で活躍し、05、06年にはナビスコ杯(現ルヴァン杯)連覇に貢献。
◆オシム時代の千葉 2003年、元ユーゴスラビア代表監督のイビチャ・オシム氏が就任。「賢く走るサッカー」を合言葉に、オシム監督が抜てきした選手たちが躍動し、2リーグ制のファーストステージで3位、セカンドステージで2位(総合3位)に。04年も総合4位と、J1で優勝を争うチームへと急成長すると、05年にはナビスコ杯(現ルヴァン杯)制覇。当時の主力だったMF阿部勇樹、羽生直剛、佐藤勇人、山岸智、そして06年ドイツW杯にサプライズ招集されたFW巻誠一郎らは、“オシム・チルドレン”と呼ばれた。オシム監督は06年ドイツW杯後に日本代表監督に就任し、シーズン途中に退任。

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