第102回箱根駅伝(来年1月2、3日)に3年連続25回目の出場を果たした中央学院大は16日、千葉・我孫子市内で合同取材会を行った。10月の箱根予選会をトップで通過し、躍進の鍵を握るのが、予選会で日本選手トップの個人7位の快走を見せたエースで主将の近田陽路(こんだ・ひろ、4年)だ。

愛知・豊川高時代は3、4番手選手だったが、粘り強さが特長の中央学院大で努力を重ねて急成長し、初の花の2区出走が有力視される。最後の箱根路で、19年以来7年ぶりのシード権獲得へと導く“ヒーロー”となる。

 ヒーローになるべく最後の箱根駅伝に挑む。大エース・吉田礼志(現ホンダ)が卒業し、今季は近田がその重責を担う。「2区で区間一桁。必ずシード権を取りたい」と、大勢の報道陣の前で決意を口にした。

 4年間で素質を開花させた。川崎監督は入学当初の近田を「豊川高では3、4番手。この学年は欲しかった選手が1人も取れなかった代」と告白。近田も「才能がなかったので努力しなければいけないと思っていた」と振り返る。ただ、当初はどう努力すればいいのかが分からなかった。

 転機となったのは、基礎練習の大切さに気づいたことだった。

「ジョギングや体幹トレーニングを大切にしている先輩たちの記録が急激に伸びていくのを見て、はっとした」。地道な積み重ねを誰よりも大切にし、黙々と練習に励んだ結果、記録が向上。今季は吉田が行っていた練習ペースで自らを鍛え上げ、5000メートル、1万メートル、ハーフマラソンの3種目で自己ベストを更新。箱根予選会では堂々の日本人トップとなった。

 箱根路では2度悔しさを味わってきた。2年は9区で区間最下位、3年は10区11位に終わった。「箱根の悔しさは箱根でしか返せない」。苦手の上り克服へ向けて不退転の決意で、今季からピッチ走法からストライド走法へ変更。映像を繰り返し確認し、フォームを固めてきた。2区起用が濃厚とされる中、14キロ付近の権太坂、終盤20キロ付近の2度の急な上り坂にも「以前より軽く上れるようになっている」と自信を示した。

 陽路(ひろ)という名前には、名付け親の父から「日の当たる道を真っすぐに歩んで、ヒーローになってほしい」という願いが込められている。「前回は多少の甘えがあった。

今回はシード権はつかみ取るものと意識が変わった」と近田。自身最後の晴れ舞台で予選会に続く快走で、待望のシード権へと導く。(綾部 健真)

 ◆近田 陽路(こんだ・ひろ) 2003年12月3日、愛知・豊橋市生まれ。22歳。愛知・羽田中から豊川高に進み、中央学院大法学部進学。2年時は関東学生対校選手権2部ハーフマラソン5位、日本学生ハーフマラソン2位。箱根駅伝は2年時9区23位、3年時10区11位。自己記録は5000メートルが13分58秒19、1万メートルが28分32秒54、ハーフマラソンが1時間0分45秒。181センチ、56キロ。

 ◆中央学院大 1966年創部。箱根駅伝には94年に初出場。最高成績は2008年の3位。

出雲駅伝は16年の4位が最高。全日本大学駅伝は08年、16年の5位が最高。練習拠点は千葉・我孫子市。駅伝部は56人、学生スタッフ5人。タスキの色は紫。主なOBは97年日本選手権十種競技で優勝経験を持つタレントの武井壮、17年ロンドン世界陸上3000メートル障害代表の潰滝大記(富士通)ら。

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