箱根駅伝優勝3回の山梨学院大が本格的に強化に着手した1985年当初、顧問としてチーム強化に尽力した秋山勉さんが17日、心室頻拍のため、亡くなった。85歳だった。

 秋山さんは東農大OB。1959~62年に箱根駅伝に4年連続で出場した。卒業後、山梨・甲府市に在住していた秋山さんに対し、山梨学院大が箱根駅伝への挑戦計画を相談。秋山さんが順大の沢木啓祐元監督を通じて初代監督として招聘したのが、上田誠仁元監督(66)だった。

 1985年春に山梨学院大駅伝チームは本格的に始動。当時、まだ26歳だった上田さんを秋山さんが顧問として支えた。翌86年の予選会で6位に入り、創部1年8か月で箱根駅伝初場を決めた。留学生ランナーをチームに迎えるなど、当時、画期的な強化策を進めた山梨学院大は92年に箱根駅伝初優勝。94年、95年も連覇し、計3度の総合優勝を果たした。

 秋山さんは東日本縦断駅伝(通称・青東駅伝)では山梨県チームの監督を長く務め、山梨県の強化に尽力した。また、長野・車山高原でホテルを経営しており、山梨学院大以外の多くの大学、実業団チームも夏合宿では秋山さんのサポートを受けた。

 後に、上田さんは秋山さんの長女と結婚し、二人は義理の親子となった。

上田さんは順大時代に箱根駅伝に3度出場。上田さんの次男の健太さん(現ロジスティードマネジャー)は山梨学院大時代に箱根駅伝に3度出場した。

 2022年から陸上部の顧問を務め、スポーツ科学部教授でもある上田さんは今年度末で退任予定。16日に最終講義を行った。

 「箱根駅伝には秋山さんが4回、私が3回、健太が3回、合計10回、家族が走ったことになります。私が生まれたのが、秋山さんが箱根駅伝を初めて走った1959年1月。そして、私が定年退職を迎えた年の最終講義の翌日に息を引き取るとは…。無念です。チーム創設から定年を迎えるまで、長きにわたって支えてもらいました」と上田さんは秋山さんへ感謝を込めてコメントした。

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