俳優の成宮寛貴(43)が、12年ぶりの主演舞台を待ちわびている。来年1月に開幕する三島由紀夫の代表作「サド侯爵夫人」は、2000年のデビュー作以来となる演出家・宮本亞門氏(67)とのタッグ。

16年に芸能界を一度引退してからの生活や、「生きている感じがする」という舞台へのこだわりに迫った。(堀北 禎仁)

 成宮の澄んだ瞳には、一点の曇りもなかった。ファンだけでなく、あまたの俳優仲間や演出家をうならせてきた才能が宿る。「俳優をやるならば、絶対に舞台をどこかのタイミングでやりたいという思いがあった」と言い切った。

 昨夏にプライベートで訪れた鎌倉の材木座海岸で、デビュー作に抜てきしてくれた恩人・宮本氏と運命的に再会。舞台出演をオファーされた。

 「ジャズのコンサートに行ったら、たまたま目の前に亞門さんがいらした。復帰の話をしたら『今度ご飯食べにいこう』と。ここで自分を売り出した方がいいと思って『舞台に挑戦をしたい』と言った。天のおぼしめし。絶対に亞門さんと仕事したかった」

 中学時代に「金閣寺」を2ページで断念して以来、無縁だった三島作品。宮本氏が演出する「サド侯爵夫人」(来年1月8日~2月1日、紀伊國屋サザンシアターTAKASHIMAYA)のセリフ量は、役者人生でも断トツの多さだった。

 「今まで自分が培った俳優の技術では乗り越えられない。もう1つ、2つ、3つ(上の段階に)抜けないと到達できないゴールがある。これを超えないと次はない。俺の人生ってこうなんだな、と。今その試練に意識的に向かってる感じがする」

 25年ぶりにタッグを組む宮本氏について「情熱的で人間らしい人。安心して飛び込める」と信頼を寄せる。「セリフの意図を明確に伝えてくれる。すごく愛情を持って、僕のいいところも悪いところもしっかり見てくれている。『亞門の目』を持っている」

 「サド侯爵夫人」は女性の会話劇だが、演じるのは自身や東出昌大(37)、加藤雅也(62)ら6人の男性俳優。故・蜷川幸雄氏(2016年死去、享年80)の演出舞台「お気に召すまま」(04、07年)で女性を演じた時の表現が、いまだに体から抜けきらないという。稽古でも「女性役なんだけど、亞門さんが求めてくるものは『女性』という形ではなく、人間そのもの。女性的な要素を全部排除していくという作業をしている」と試行錯誤の日々だ。

 俳優デビューは、宮本氏演出の舞台「滅びかけた人類、その愛の本質とは…」(00年)だった。17歳で自らオーディションに応募。演技未経験ながら抜てきされた。

 「飽き性なんですけど、ずっと続けていけて、生きていることを実感できる仕事がよかった。3年ぐらいやってダメだったらきっぱりやめて、違うことでお金を稼げばいいと思ってた」

 02年の日本テレビ系「ごくせん」で注目されるなど、あっという間にスターダムへ駆け上がった。「すごくハングリーだった。ほとんどオーディションに落ちずにお仕事させてもらってきた。絶対に俳優という仕事で大成する、という意識が高かった」

 売れっ子になっても探求心の塊だった。「映画でも壁にぶち当たる作品を定期的に選んで、自分から壊れにいっていた」。特に、やり直しがきかない舞台という表現に魅了されていった。

 「舞台って転機になるんですよ。(演技の)やり方を試せる。

稽古の期間に引き出しが増えていく。舞台は生のもので、何とも言えない緊張感がある。試練の場になりますよね」

 成宮にとって前回の舞台は、蜷川氏演出の「太陽2068」(14年)。かつて共演した市村正親(76)が鑑賞してくれたことが忘れられない。

 「市村さんが僕の楽屋に来て、泣いたんですよ。『本当に良かった』と。そんなふうに感じてくださるなんて思ってなかった。役者をやっていてよかったな、とその時思った」

 30代に入って出演したドラマ相棒」は「自分としても新しいジャンルで、挑戦しがいがあった」。名コンビとなった水谷豊(73)には「俳優として素直に目指していきたいと思う一人。尊敬できる方に出会えた」と感謝している。

 16年に突如、芸能界を引退した。「心にぽっかり穴が開いていたので、自分を取り戻したかった」とインドネシア・バリ島に移住。

その後は米国やヨーロッパ数か国を巡った。オランダ・アムステルダムでは町並みや多様な人種の行き交う環境が肌に合い、ビザを取得して数年間滞在した。

 現地では、絵の具を指につけて描くフィンガーペインティングに没頭していた。「自分は何かを形にしたり、表現をしたりすることが大好きなんだなと再確認した」

 20年末に帰国。俳優復帰を望む声は耳に入っていた。「一度ピリオドを打っているので戻らないという頑固な気持ちがあったけど、いまだに注目してもらえるのがエールになった。『今、台本を開いたら面白いことできるんじゃないかな』と自分に期待が持てるようになった」

 今年3月に配信されたABEMAオリジナルドラマ「死ぬほど愛して」で8年ぶりに俳優復帰。日本テレビ系「メシドラ」で9年ぶりにバラエティー番組に出演したことも反響を呼んだ。「慣れてないけど、力が抜けて自然体になれた。皆さんの反応が温かくて良かったし『うれしいな、よし頑張ろう』と励みになった」

 再び戻ってきた俳優という職業に、何物にも代えがたい魅力を感じている。

 「過去にあった良いことも悪いことも、全てを台本のセリフに込めることができるのが醍醐(だいご)味。情熱を注ぎ込んでいる時の集中力、紡ぎ上げているお芝居の瞬間…。

生きている感覚をとんでもなく得られる仕事なのかな」

 将来について「2、3年後は想像がつくけど、10年後や20年後は未知」という。大切にしているのは、表現者としての“余白”だ。

 「ゼロから100まで自分がこうだ、ああだと全部言うのってエンターテインメントじゃない気がする。見えないものがたくさんある方がミステリアスで良くないですか?」

 謎めいた部分も含めて、役者としての己を俯瞰(ふかん)している。そこには確かな「成宮の目」があった。

 ◆成宮 寛貴(なりみや・ひろき)1982年9月14日、東京都生まれ。43歳。2000年デビュー。01年「溺れる魚」で映画初出演。05年エランドール賞新人賞。10年TBS系「ヤンキー君とメガネちゃん」で地上波連ドラ初主演。16年に芸能界引退を発表したが今年俳優復帰。

実業家としても活動し、24年には美容ブランド「NU DO.」をスタート。172センチ。血液型A。

編集部おすすめ