日本共産党の委員長や議長を務めた不破哲三(ふわ・てつぞう、本名・上田建二郎=うえだ・けんじろう)さんが死去したことが30日、分かった。95歳だった。
10代の時から約80年にわたり、人生を共産党の活動に捧げてきた不破さんが、静かに逝った。党関係者が明らかにした。
教育者の父を持つ不破さんが、共産党の門を叩いたのは、旧制一高(現在の東大教養学部)の学生だった1947年の時。東大理学部を卒業後は、鉄鋼労連(現在の日本基幹産業労働組合連合会)に書記として就職した。
64年には最年少で党中央委員となり、当時党の実力者だった宮本顕治氏の“秘蔵っ子”と言われた。党内で頭角を現す大きなきっかけとなったのが、衆院選初当選の翌年、70年に宮本氏が委員長に就任するのに合わせ、書記局長に抜てきされたことだった。当時40歳の若さだったことから「共産党のプリンス」と呼ばれ、将来を嘱望された。
その後も宮本氏の懐刀として活動を続けていたが、97年に宮本氏が議長を退き、影響力が低下すると、志位氏との体制を確立。98年には、文化大革命以降断絶が続いていた中国共産党との関係を正常化し、議長に就任した2000年の党大会では、党規約から「前衛政党」などの表現を削除することを採択するなど、柔軟路線への転向を率いた。
03年に「党の活動を発展的に進めるうえで、若い世代に引き継ぐことが大事だ」との理由から、衆院議員10期で政界引退を表明。06年には議長も退任したが、最高指導部である常任幹部会委員にはとどまり続けた。19年の参院選では、89歳の高齢ながら猛暑の中、都内で選挙カーに乗ってマイクを握り、候補者の応援演説に立った。また、20年1月に静岡県熱海市で開かれた党大会では、議長退任以来、14年ぶりに演説するなど、党の精神的支柱として存在感を示していた。
プライベートでは登山が趣味で、党委員長就任時には「私の特効薬は山登り」と話したことも。政治に関する数々の著書がある中、山と渓谷社から「私の南アルプス」という自身の登山経験を著した本を出版したこともあった。
◆不破 哲三(ふわ・てつぞう)本名・上田建二郎。1930年1月26日、東京都中野区生まれ。父は教育評論家の上田庄三郎氏、兄は日本共産党元副委員長の上田耕一郎氏。旧制一高在学中の47年に共産党入党。53年に東大理学部を卒業し、鉄鋼労連の書記となる。69年の衆院選で旧東京6区から出馬し初当選。

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