残暑というより、まだ猛暑が厳しかった8月下旬に取材させていただいた明大OBの小谷野重雄さんが25年11月23日に脳梗塞(こうそく)のため、亡くなった。95歳だった。

 1951、52年の箱根駅伝で10区を走った。紫紺にM。明大関係者によると、現存するものとしては最古と言われる伝統のユニホームを手に小谷野さんは「これを着て走りました。Mの形は昔も今も同じです」と柔らかな表情で話した。

 1、2年時に区間4、5位と好走したが3、4年時は出場を逃した。「3年になってマージャンを覚えてしまって。ジャン荘に入り浸っていました。今、思えば、4回、箱根駅伝を走りたかった。残念ですね」と苦笑いして振り返った。

 明大は4月に大志田秀次監督(63)が就任。10月の予選会で復活出場を目指していた。「持てる力を出し切って突破を願っています」と激励した。

箱根路で好走の成功も、マージャンにおぼれるという失敗も経験した小谷野さんは現役選手の苦悩がよく分かる。決して偉ぶることはなかった。

 取材が進むにつれ、小谷野さんは「昔のことを思い出してきました」と口調が滑らかになった。明大は7度の優勝を誇るが、最後の栄冠は1949年までさかのぼる。小谷野さんが入学する約1年前のことだ。「明治の優勝を見るまで死ねませんよ」と笑顔で話した。同席していた妻・良子さん(89)と孫の薫さん(29)は「こんなに元気なおじいさんは久しぶり」と声をそろえた。

 しかし、それから、わずか3か月。薫さんから訃報(ふほう)が届いた。「あの取材で体に無理をさせてしまったのでは…」と身が縮む思いで尋ねると、薫さんは「絶対、それはありません」と即答。その上で「祖父は学生時代の話ができて、その記事が掲載されて喜んでいました。遺影は竹内さんが撮影した写真を使わせていただきました」という言葉に救われた思いがした。

 今回の予選会で明大は、10位通過の立大と1分58秒差の12位で落選したが、小谷野さんは「惜しかった。頑張った」と健闘をたたえたという。そして、今、あの貴重なユニホームは納骨前のお骨と共にある。天国で、明大の後輩ランナーを見守りつつ、小谷野さん自身も颯爽(さっそう)と走っていることだろう。そう願いながら、年を越した。(箱根駅伝担当・竹内 達朗)

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